皆様からのメッセージコーナー・3 ● メッセージ記入
初めまして。一気に読みきってしまいました。観察眼の確かさ、絵にあふれる暖かさ。素晴らしいの一言です。私の少年時代は頭上で空中戦が演じられその都度防空壕へ非難、夜になると空が赤くなる程の空襲。戦争が終わると食糧難。・・・と両親にとっては苦難の時代だったと思いますが、私にとってはそれも懐かしい思い出です。その思い出の裏には亡くなって行った沢山の人々もいることを考えると悲しくもなります。世界では現在でも戦争が続いています。そこでは毎日犠牲になって悲しむ人々が増えています。早く世界中に平和が来る事を念願しております。
(woods www.studio-woods.com 2002年1月9日)
お互い運良く生き残ってよかったですね。戦争を知らない人々に体験した事を伝えて、二度と戦争に参加する事のないようにしたいですね。
(信夫)
ご苦労されたことと思います。安らかに恙なく暮らしたいのは人類共通の願いです。インターネットがその役割を果たせるように、woodsさんもHPの運営に励まれて下さい。
(「わんぱく物語」HP管理者 木内正人)
絵がとてもよかったです。僕は小6なので勉強になりました。ありがとうございます。
(稲ちゃん http://www17.u-page.so-net.ne.jp/qa2/inagakih/ 2002年1月4日)
勉強になってよかったですね。稲ちゃんと私とでは60年以上の年代差があるけど、遊び道具が少し違っていてもやっていることは同じみたいですね。
(信夫)
戦争で傷ついた人の思いがつたわった。
(みなみ 2001年12月26日)
戦争にいった国民はいつも貧しい人達が多いから、勝っても敗けてもきっと後悔します。大切な友をなくし親をなくし一人しか居なかった子をなくす。こんな悲しい事は誰もしたくない筈です。
(信夫)
当時のことが、くわしく、わかりました。戦争のことは、今からの時代とても大切だと思います。これから,私はいろんな戦争の苦しみ,悲しみを、わかっていきたいです。
(りかちゃん人形 2001年12月1日)
戦争にいい事はありません。敗けた国はもちろんのこと、買った国の兵はもっと苦しむ事でしょう。大勢の殺された兵も自国の幸せの為に戦った隣人ですから、どこの国も庶民は特に女性は母は自分の子を戦場に立たせたくない筈です。
(信夫)
はじめまして、アメリカに留学しているものです。今学期に取っているアジア女性のクラスで、私の祖母について25枚のペーパーを書く事になりました。私の祖母は昭和3年生まれで、当時の生活を知りたくてこちらのHPにたどり着きました。とても興味深く楽しませてもらっています。古き良き時代、今では想像もつかない物ですね。生き証人として、こういった色々な出来事を伝えていってください。
(朝倉 2001年11月14日)
当時の教育方針で、男の子は国の為なら命も惜しまぬ人間に育てられました。純粋で健康な慈しみのある人物になることでした。男尊女卑と云う言葉の通り、女性は男に従うことを教育させられていました。今思えば母や妹は虫も殺せぬ優しい人でした。小生も当時の女性に成り代わって新たに想い出深い絵を描いてみようと思います。
(信夫)
始めまして、僕は自分のページに戦争の怖さを今の若い人に教えるために資料を集めています。あるページで見つけた、写真があまりにも見ずらいので、貴方様の絵なら適していると思い是非とも僕のページに資料を張りたいのでよろしくお願いします。今の米テロ事件がきっかけで、第三次世界大戦が起こる気がし、もっと戦争にならないように努力をしてほしいと思いページを作りますので、「戦争の怖さ」を訴える絵を選んでいただけたら嬉しく思います。話は変わりますが、このメールフォームを僕のホームページで利用したいのでやり方も一緒に教えてください。よろしくお願いします。
(竹谷 新司 http://www5.ocn.ne.jp/~hatumai/index.html.htm 2001年10月14日)
戦争が起きる要因は様々かつ複雑で、「戦争の怖さ」を伝えるだけが戦争の抑止になると思っていません。私たちのHPは、あえて人々の暮らし、家庭の愛、友情をテーマにしています。それは少なくとも、どの人種民族でも共通の財産だと思っているからです。ぜひ、お友達やいろいろな人と話し合って素晴らしいページを作って下さい。またメールフォームですが、私はネットに配布されているフリープログラムを使っています。配布先はここです。http://www.rescue.ne.jp/cgi/webform/
(「わんぱく物語」HP管理者 木内正人)
多量のスケッチ絵とその解説文を大変興味深く拝見拝読させていただきました。あの時代の簡単な世界と日本の政治の動きと我国の庶民の生活状態の様子が良く理解できました。夢中で読みまくりました。
(奥原 茂 2001年8月14日)
この絵を懐かしく見てくれる人は皆ご年輩になりましたね。現在ほど便利ではなかったけど、それなりの青春がありました。終わりよければすべて良しで、幸せな人生だったと思います。
(信夫)
木内信夫様 木内正人様
はじめまして。パソコンを始めて間もない年寄りです。漸くインターネット閲覧を楽しめるようになりました.貴殿のHP.わんぱく.御朱印日本の旅と出会い懐かしい風情や心温まる解説に感銘を受けました 友人.同級生にも紹介したいと思い 許可を戴きたく お願いいたします
(藁品裕次 2001年5月8日)
同じ世代の皆さんが懐かしく見て下さると嬉しいです。ぜひここのHPを教えてあげて下さい。輪になって昔を語り合いたいですね。御朱印も近いうちに、平成12年までのを載せる予定です。期待していて下さい。
(信夫)
初めての書き込みです。
感想とは全く異なりますが、お願いがあります。私オーストラリアに在住しているのですが、先日とある現地の骨董品店にて旧日本陸軍で使用されていた94式(甲、乙、丙のうち肩紐などの欠損から定かではないのですが・・・。)下士兵水筒を発見しました。ただそれだけならば見過ごしてしまうところでしたが、気になる点があったためったものでよくよく見てみると持ち主と思しき人物の氏名が水筒の側面に刻み込まれていたのです。製造年を確かめると昭和17年、西暦1942年にあたります。刻まれた名前も当時のもの(その時に刻まれたという意味で・・・)、カタカナで表記されています。とにかく、こんなものが骨董品店に陳列されていると言う事がとても居たたまれなくなり後先考えずに大枚をはたいて購入してしまいました。そこで思い付いたのが、この水筒を持ち主、若しくは親族に返すと言う事なのですが、いかんせんここはオーストラリア。資料も何もありません。名前は解っています。でもどのように探したらいいのか解りません。この水筒は私が持っていてる限り、古い水筒で終わってしまいますが、本人若しくはご親族の方々にはかけがえのない品に違いありません。どなたか力をお貸し下さい。
(こうじ mimpro@hotmail.com 2001年4月24日)
難しい人捜しですね。このHPではあまりお力になれないと思います。尋ね人として、他のHPの掲示板などにまめに載せるか、厚生労働省に直接問い合わせるのも方法のひとつかもしれません。
(「わんぱく物語」HP管理者 木内正人)
始めてメールさせていただきます。私の父も大正12年の生まれで、昭和19年に満州の哈爾浜(ハルピン)に出征しシベリアに4年間捕虜として抑留しました。その父が最近、思い出すままに自分の子供の頃のからの事を書き綴りましたので、私がパソコンで清書を始めたところです。ところが改めて、私が戦争の事を知らない事、満州の地理さえ解らないのに気付き、ネットの中で満州に付いて調べているところ、このページに巡り会いました。木内さんの優しさに感動しました。戦争の事は恐くて、私からは父にきく事はなかったのですが、時々自分から話すのには、辛い話もなんだか楽しそうなのです。まぎれもなく、その時代そのものが父の青春時代だったのだと思います。好奇心の強い父は、初めて見るもの、経験するものに目を見張っていたのが伺えられます。父とは離れて暮らしていますので、木内さんのすばらしい絵をすべてみせてあげたくて、プリントさせていただきたいと思います。お許し下さい。きっと、喜んでくれると思います。
(片桐美佐子 2001年2月24日)
プリントの件ですが、あくまでも個人的な目的であれば結構です。お父様に見せてあげて下さい。私の父も、ぜひ片桐さんのお父様の感想を聞きたいと申しております。また、片桐さんはお父様の記録を清書されているそうですが、HPを開設してネットに公開してはいかがでしょうか。戦争の記録は、私たちがそれを後世に伝える努力をしない限り消えてしまいます。ささやかな個人的エピソードであっても、そうした記録が、きっと子供達や未来の平和のために役だってくれるはずです。
(「わんぱく物語」HP管理者 木内正人)
こんにちは。はじめまして。わたしも絵を描くのですが、主に懐かしさ、忘れられている温かさ、など大正や昭和時代をモチーフとして描く事が多いのです。しかし私は古き良き時代、戦争のあった悲しい時代を経験してはいないのでどこか嘘を描いている気がしていました。本物の体験の絵はこうなのか!と思わされました。これからも多くの方がここを訪れていろいろな事を感じられたら、とても素晴らしいことだと思います。また来きたいと思います。たくさん良いモノを描き続けて下さい。
(にじこ 2001年2月11日)
プロでないから、絵はそれほどうまいとは云えませんが、目をつむって50年前の事を考えると、それが絵になります。次々と紙芝居のように出てくるはずです。きっとあなたも描けるようになると思いますよ。
(信夫)
分かりやすい絵ばかりで、私たちの勉強の役に立ちましたありがとうございました。そのころの、様子や、暮らしや兵隊さんのかっこなどが良く分かりました。
(えだまめ 2000年12月21日)
私は、学校の勉強で、沖縄戦のことについて調べていたらこの、ホームページ?を発見しました。とても分りやすかったです。これからも、もっといろんなものをのせて下さい。
(両津歓喜智 2000年12月22日)
私は、学校の勉強で沖縄戦のことをしりました。良くわからなかったことが分かりやすく書いてあって勉強しやすかったです。ほかにも沖縄戦以外のことを勉強して、本当に戦争は、怖いものだと分かりました。これからも平和な世界にしていきたいです。
(ポンキチ1@2! 2000年12月22日)
お爺ちゃんやお婆ちゃんがご健在でしたら、その頃の見たこと聴いたことを聞いてみて下さい。きっと面白い話をだくさん知って今すよ。まだ近い歴史です、勉強して下さい。
(信夫)