Message Board/皆様からのメッセージ・30
一話から五話まで読ませていただき、涙が止まりませんでした。百聞は一見にしかずとも言うように、現在に生きる私達にはきっと想像もつかないような過酷な目に遭われたのですよね…その中で、敵地(と言っていいのでしょうか…?)「個人的には優しい」という言葉を語られていること、恨みより、「人間への愛情」を語られていることに、そして、戦争は終わったのにどうして?という事に、非常に心に突き刺さるものがありました。私の祖父母は満洲へ行っていたのですが、10数年前に亡くなってしまいました。今、祖父に色々聞きたいです。でもそれは、今となってはもう叶わぬこと。(多分、祖父母は多くは語りたくなかったのだと思います) 祖父が話してくれた「断片的な事」は今の世の中では人道的にNGな事ばかりでした。本当はもっと辛く、屈辱的な経験をしたんじゃないかと私は思います。個人的には、解り合える部分もあるのに、なぜ殺し合いをしなくちゃならないのか?! それは人間個人個人のいがみ合いではなく、国益。国の偉いさんが、自分の身の安全は確保した上で、たくさんの国民の大切な命を犠牲にしたとしか思えません。ロシアの音楽は私も大好きです。特にショスタコビッチという作曲家です。音楽は、歌は、国境や領土、宗教をも超えますよね。アタマで考えた得策より、本能で生きたら、他民族を殺すなんてできなくなるのでは、と思いました。元々「何でこんな戦争仕掛けちゃったのかと、もっと知りたい」と思っていたので、このサイトに出会えて、本当によかったです。どうもありがとうございました。
(真樹 2008年11月6日)
メッセージを拝読しました。全く真樹さんのおっしゃる通りです。我々もロシア人もゲルマン人もハンガリー人もチェコ人も、個人々々では悪い人はいませんでした。あなたの云う通り、その国のお偉いさん達がそうで無かった時に、庶民が苦い思いをするんですね。どうあれ、私たちは明日の一日を真面目に生き抜くように心掛けてゆくことですね。人を愛し国を愛することを忘れては行けないと思っています。
(信夫)
私の祖父はもう亡くなりましたが、戦時中シベリアに抑留され、食べるものが無く目の前を走る鼠を捕まえて食べたと言っていました。私の小さい頃でうっすらとしか覚えていません。今になってなぜもっと詳しく聞かなかったのか後悔しています。私は祖父やその他の戦争体験者の真実を知りたいと思っています。今年の2月、兼ねてから訪れたかった広島に行って来ました。資料館や公園を廻り、原爆の恐ろしさ、戦争の言葉に出来ない虚しさや悲しさを知りました。それは私の想像を超えていました。体験した人にしかわからないものがあると思いました。今後、戦争体験者が一人もいなくなる時が来ます。今こそ私たち若者が後世に受け継いでいかなければならないと思っています。あの時から私は微力ながら戦争・原爆の廃絶、また、途上国における支援等に関する活動をさせて頂いております。突然ではありますが木内さまに直にお会いしてお話しを伺うことは可能でしょうか?
(匿名 2008年10月29日)
戦争に負けても良い国に生まれ変われば、戦死した友達は犬死と云われないであろう。私の息のある内は、お国の為を思って戦った友に酬いてあげたいと思っています。近ければお逢いできます。
(信夫)
追伸:父信夫は高齢につき、場合によってはお会いできないこともありますので、その際は何卒ご容赦下さい。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
Thank you for your effort in making this website. It is a beautiful example
to everyone. I hope that I will be as brave as Mr Kiuchi if anything so bad
should happen to me.
(Dave Kielpinski, Australia 10.22.2008 )
Thank you, Mr. Dave Kielpinski. By kind translators, I was able to deliver a story of my father.
And my
father always hopes for world peace.
( Masato Kiuchi, site creator )
私は現在37ですが、祖父ではなく父が、モスクワ近くに4年間抑留されておりました。4年前、88にて他界致しましたが、聞く方も涙が止まらない程のご苦労を昔の方々はなされてこられた事を知りました。シベリア抑留の真実を絶えさせてはならないと思います。何か出来る事があれば、協力させて頂きたいと思っております。
(NerimaOizumi 2008年10月20日)
お父様は長生きをされご立派な生涯を過ごされたことと思います。お父様をはじめ、先人たちのご苦労に酬いるのは、先人たちが私たちのために築いて下さった今日の平和を、私たちが引継ぎ、そして次の世代に残し伝えることだと思います。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
はじめまして、私の母方の祖父も満州で捕虜になり、シベリアで強制労働させられていたと聞いていたこともあり、興味深く拝見させていただきました。祖父は随分前に他界しているのですが、小さい時に抑留されていた時の話を少しだけ聞いていました。その話とはこんな感じでした。祖父が体調を崩し、寝込んでいたら、「佐藤さんはもうだめだな」とか他の人たちが言っているのが聞こえてきたそうです。それを聞いて祖父が「こなくそ、絶対生き残って日本へ帰ってやる」と思ったそうです。結局祖父は無事に日本へ帰って私の母が生まれるのですが。その祖父もきっと悲惨で過酷な目に遭っていたと思うと、彼の強靭な生命力に感謝しつつ、ロシアには正直あまり良い感情を持ち合わせていませんでした。しかし、画集を拝見してからは自分の中で少し変化がありました。国家レベルではそうできなくとも、個人なら分かり合える、仲良くできる・・。私の祖父はどう感じていたのか・・もっと当時の事を聞いておけば良かったと後悔しました。最後にこの画集の、過酷な状況の中でもユーモアを忘れず、他の国の兵士や人々との暖かい交流を描いているのがとても印象的でした。祖父もこんな交流を経験していれば良いなとおもいました。駄文失礼しました。ありがとうございました。
(匿名 2008年10月19日)
父が伝えたかったことをご理解頂き本当にありがとうございます。どの国においても一般国民は戦争などしたくはありません。誰しもが仲良く平和に暮らしたいと思っています。父は、どこの人間も皆同じだったと言っています。それなのに“国境”があり、今なお戦争が絶えません。父のイラストで今一度、人間を見直す機会になっていただければ幸いです。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
韓国の軍事研究者と同時に小説家です.立派な絵と話よく見ました.韓国語への翻訳紹介に少しでも役に立ちたいが,日本語は翻訳プログラムを通してぎこちない部分を直す位しかできなくてためらっていますね.まことに立派な作品だから少しでもお手伝い致したいが...
ありがとうございます。初めての韓国からのメッセージなので、とても嬉しいです!私は、父の物語を世界の多くの人々に知って頂きたいと思っています。機械翻訳で読みにくい文章もあると思いますが、これからもよろしくお願い致します。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
はじめまして。このホームページの作品を拝見さしていただき、私は祖父がどのような経験をしたのか知ることができました。私の祖父はつい最近亡くなりましたが、生前はよく戦時中や戦後の話をしてくれました。祖父も戦後はシベリアで強制労働に使役していました。当時は祖父の話に、あまり関心がなかったのですが、祖父が亡くなり、作品を拝見し、祖父が僕に何を伝えたかったのかが、少しだけわかった気がしました。本当にありがとうございました
(ニワタ 2008年10月18日)
お爺様が亡くなられて本当に残念ですね。しかし、お爺様にとって昔話をするというより、お孫さんであるニワタさんとお話できたことが最高に幸せな時間だったと思います。私たちが幸せに暮らすことが先人たちへのご恩返しではないでしょうか。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
何と申し上げたら良いのか…とても、とても心が打たれました。今の時代、隣国どころか隣人でさえ別の生き物のように距離を感じます。世界は友達、みんな同じ人間。それぞれが自分と同じように喜び、悩んでいる。そんな大事なことをどうして人は忘れてしまうのでしょうか…伝えていかなければならないことが、ここに詰まっているように思います。本当にありがとうございます。
(ダイス 2008年10月11日)
父の画集をご覧になって下さってありがとうございます。翻訳版のホームページからの海外からのご感想にも、人類共通の優しさや愛しみを感じている次第です。そのメッセージは途切れないようにこれからも続けて行きたいと思っております。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
「抑留画集」拝見いたしました。言葉にならない感情が胸の中で渦を巻いています。祖父から聞いた「戦争」、メディアが描写する「戦争」、資料から知る「戦争」。これらの情報から想像に至らない「戦争」のカタチだと感じました。私達は知らなければならない。そして「感じて」行かなければならない。理屈での可否ではなく、生き物として、ひととして気持ちや心の部分で「戦争」への位置づけを持って生きていかなければならない。何だかとてもそう、強く感じました。
(匿名 2008年10月10日)
戦争に征く時の気構えと、捕虜になるなら死ねと命ぜられた我々。捕虜になっても胸を張って故国に帰る他国民。ベルサイユ条約を知っていた世界中の兵隊と、日本の兵隊の差は異様なものでした。とても勉強になりました。
(信夫)
私も祖父がシベリアへ抑留されていました。このHPを拝見して、祖父や祖母から聞いた話の情景がわき上がりました。ありがとうございます。本当に。これからもお体ご自愛し、長生きしてください。
(makoche 2008年10月9日)
お爺さんの話を裏付け出来て良かったですね。お友達にも話してあげて下さい。
(信夫)