皆様からのメッセージ・22
こんにちは。はじめまして。私の父も第二次世界大戦への参戦経験者です。作品を拝見して、若き日の、たった4年間の出来事を何度も何度も繰り返しては語り続ける父の昔話がリアルに伝わって参りました。正直誰もがうんざりしていたのですが、今、私は涙を流して反省しています。こちらのサイトと作品の中の一枚を私のブログに投稿することは可能ですか?
(梶原範恵 2007年2月19日)
私は作者の息子でこのHPの管理人です。ビジュアルのもつ説得力の強さをご高く評価して頂き、HPを開設して本当に良かったと思っております。ありがとうございます。ブログの挿入につきましては非営利でなければ結構です。梶原様のように、ご丁寧に連絡して下さることに感謝いたします。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
こんにちは、留学生のマハです。日本人抑留者について研究したいと思います。ご意見、ご体験のある方、何かの情報を知っている方教えていただければ幸いです。抑留者は国家の犠牲になった、なっている人々だと思います。どうして抑留者のことを「シベリア抑留者」といいますか。中央アジアに抑留された人々についてご存知ですか。
(Maha 2007年2月3日)
私は東ヨーロッパ方面に抑留されていたので、アジア方面はよくわかりません。抑留者はシベリアが多かったので「シベリア抑留」が代名詞になってしまったようです。
(信夫)
はじめましてメール差し上げます。私の父も木内様と同様大正12年に東京で生まれました。昭和19年春入隊、満州の戦場後、シベリアに4年間抑留され、昭和24年10月引揚船高砂船で無事帰還致しました。復員後は家業に従事し、今も尚、一家の大黒柱として家族を見守っております。酷寒の地シベリアでの残酷な生活は折りに触れ、耳にすることもありましたが、仕事の忙しさと平和な日々の中、話題になることは少なかったものの、外地で受けた損傷による後遺症にずっと悩まされていました。そんな父が、82歳の夏、大手術による闘病生活を余儀なくされ、現在も養生の日々を送っております。シベリアで耐え抜いた根性が、本人を勇気付けているのでしょう。10年以上も前に、父がシベリアでの生活を記録して便箋に書き留めておいたものを、昨年、棚の中から発見しました。私たちが知らなかったことがたくさんあって、驚きと同時に涙が止まりませんでした。今まで、シベリアでの生活を深く知ろうともしなかった自分を反省しました。病気に負けず頑張ってほしい。そして父の励みになればと、姉と相談して小さな自分史をつくることをすすめました。父の記憶と言葉だけで綴った自分史はウソのない実話です。私はこれをきっかけに、シベリア抑留について興味を持ち始めました。今日はじめて木内様のHPをUPして驚きました。父から聞いた話が本当にイラストで証明されたようです。感動しました。父に明日教えてあげたいと思います。木内様もどうかお元気にご活躍されて下さいね。父をほこりに思う娘より。
(れい子 2007年1月28日)
戦友達と励まし合い助け合いして頑張ってきたあなたのお父さんをほこりに思ってください。今のうちにもっともっと沢山話を聞いてあげて下さい。小生もまだ元気で歩き周ってます。
(信夫)
感動して言葉もございません。私も戦後、満州からの引き揚げ者です。昭和21年、1歳の時に佐世保に上陸したという話です。叔父もシベリアで抑留生活を経験しています。絵というのは言葉では感じられない迫力がありますね。見ただけで、様子が伝わってきました。
(galaxy 2006年12月22日)
ご両親も叔父様もご苦労されたことと思います。ご存命であるなら、どうぞ大切にしてあげて下さい。小生も元気で居ります。
(信夫)
始めまして、木内様。私は、ウクライナに抑留されてました父を持つ49歳男性です。その父も83歳で亡くなってもう、4カ月が経ちました。父よりよく聞いてました、労働が零下何度以下は中止だとか、分厚い手袋をしてボルトを1回締める毎に、手を火であぶって作業してた事。冷えて固まった便をつるはしで砕いた時、その破片が口に飛び込んできた事。お前は地平線を見た事あるか?と聞かれた事。帰国直前に日本共産党と名乗る連中に、帰国を邪魔され喧嘩した事。そんな父も酔うと必ず大声でロシア語を話していました。そのつど私は父の思い出が嫌な物なのか?懐かしい物なのかと?ふと、思った物です。しかし、こちらに掲載されています、木内様お父上が書かれた絵を見させていただき、よく判った気がします。また、ウクライナが日本より遠く離れている地図を見たとき.....涙が止まりませんでした。戦争体験者が少なくなって行く中、我々が父から聞いた事を、少しでも子供達の世代に引き継いで行きたいと思いました。木内様も何卒お体をご自愛され、このHPを続けて下さいますよう、宜しくお願いしたします。ありがとう御座いました。
(森 弘三 2006年12月10日)
貴君のお父上も小生も全く同年輩です。厳しい訓練をされているので、かなり強い兵隊さんだった筈です。酷寒に耐え、重労働に耐え、帰還された今が幸せで過去が懐かしくなるのです。小生も聞いてくれる人達には、亡くなった戦友になり代わって話します。
(信夫)
はじめまして。木内信夫氏の画集が「収容所群島」のソルジェニツィンと同じ観点で描かれていることに感激いたしました。日本人の共有財産になることを願っております。 星空と地上の光境なし花に鼓すひと故郷遠く シベリア上空の光景から詠んでみました。木内信夫氏と管理人さまの益々のご健康とご活躍をお祈りいたします。
(ごとう 2006年10月1日)
素敵な句をありがとうございます。父の作品が日本人の共有財産というのは少々恐れ多いです。旧ソ連での日本人捕虜は60万人で、その60万それぞれに人生があり、60万通りの観点があると思います。そうした方々のご苦労が今日の平和を築いているものと感じています。これからも個人の目でみた戦争の記録を伝えて行ければと思っております。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
「公共ホームページ[goodsite]運動」を担当しております、財団法人高度映像情報センター(AVCC)山田と申します。大変ご無沙汰しており申し訳ございません。貴サイトから当財団の「公共ホームページ[goodsite]運動」マークを掲示していただきありがとうございます。実は、1996年にはじまった当運動も、今年で10周年を迎えました。"勝手に"優れた情報発信を行なっているサイトを毎月5つ紹介する、という少々横暴な活動ではございますが、すでに[goodsite]として紹介させていただいたサイトは600を超えました。地道ながらここまで続けることができたのも、みなさまのお陰です。インターネットでの情報発信も日々進化を遂げていますが、大切なのは「中身」と「人と人とのネットーワーク」という視点から、活動を継続してまいりたいと思っております。引き続きご指導ご鞭撻の程 何卒宜しくお願いいたします。最後になりましたが、貴サイトのさらなるご発展をお祈り申し上げます。
(AVCC山田 https://www.avcc.or.jp/ 2006年7月19日)
AVCC山田様、その折は私どものHPを[goodsite]として認定して頂き本当にありがとうございました。また貴サイトの10周年、おめでとうございます。“大切なのは「中身」と「人と人とのネットーワーク」”。おっしゃる通りだと思います。様々な情報が氾濫するインターネットにおいて、最も尊むべきことは“人の良心”であり、それこそが発達した情報化社会で健全なコミュニケーションを維持する要たど思います。これからもぜひ優れたサイトを私たちにご紹介下さい。今後ともよろしくお願い致します。尚、お勧めサイトがございましたら、当HPの「リンク」のページにてご紹介頂ければ幸いです。自動登録式ですので、お好きなコメントで掲載できます。お待ちしております。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
こんにちは。私はこのホームページでソ連兵によるシベリアとウクライナ・ハンガリーの日本兵捕虜による抑留は分かりました。苦しんだ事や可哀想な事や元気で生きてこらて良かったです。これは講演会や原画作品展も開いていますよね、これは長谷川町子美術館や箱根彫刻森美術館や広島平和公園にも作品展を開いたほうがいいです。あと韓国・ロシアにも開くべきです。あとは放送大学やNHK教育テレビや24時間テレビや各民放のドキュメント番組にも訴えて放送したほうがいいです。最後にこれの原画作品を日本漫画家協会の役員に見せるべきです。これは失礼ですがこれは私のアドバイスです。ではがんばって下さい。さようなら。
(匿名 2006年7月1日)
良きアドバイスをありがとうございます。おっしゃること、ごもっともですね。知名度の高い場所での公開はとても意味のあることだと思います。しかし、残念ながら私どもには広報・展示資金が無く、それゆえにインターネット上にホームページを公開するという最もコスト安の方法を取った次第です。おかげざまでネットを通じて多くの方に観ていただくことができました。親子2人による細々とした平和祈願ではありますが、これからも頑張って行きたいと思います。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
もう・・みていただけで涙がでました・・・なんでこんなに仲良かったのに戦争なんてしたのだろうとつくずくおもいます・・・・とてもかなしいです・・・・
(志萌 2006年6月24日)
私の知る限りでは、どこの国の人達もみんな戦争は嫌だと思っているんです。何故?といわれると、私も一緒に何故だろう?と考えてしまいます。戦争を好む人が国のカジをとっていると必ず戦争になります。よーくお友達を見て仲良くしましょう。
(信夫)
僕はバンタンビジュアル研究所という映画・映像を学ぶ専門学校の生徒で、山下智彦というものです。学校のドキュメンタリー制作という授業で「何か一つ各々が企画を考えてこい」という課題が出ました。どうしようと迷っていたとき祖父が小さい時から時々話してくれたシベリア抑留を思い出しました。この学校に入って2年目になりますが、いつか何らかの形でこの題材を映画化できればなぁと思っていました。これは良い機会と思い祖父を取材しようと思ったのです。また、祖父以外の体験された方の話も聞きたいと思い色々ネットで調べていたところ、木内さんのホームページに辿り着いたのです。あれだけ多くの人が捕虜となっていたのにクラスでは知っている人がいませんでした。僕は幸せなことに祖父が体験者であり、尚かつその話を聞けたからこそ知ることが出来たのだと思います。そういう事実を同年代に知ってもらいたいと思いこの企画を立てました。本末転倒なのですが、木内信夫さんにお話を聞かせてもらいたくメールをしました。よろしくお願いします。言いたいことがうまく纏まらずすいません。
(山下智彦 2006年6月4日)
シベリア抑留をテーマにした企画は、日本の戦後復興を知る上で重要かつ面白いテーマだと思います。父も若い方が学んでくれることを大いに望んでおります。過去にも学生さんの資料収集にご協力させて頂いたこともありますので、ご連絡をお待ちしております。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
欧米列強の中日本だけが敗戦国になり戦後。負の遺産ともいうべきアメリカ依存の国になりました。ここに書かれている真実は変わりません。日本を舵取をする政治家たちに、日本は正義の為の戦争したこと認識すべきです。本当に裁くべきはスターリン。ルーズベルトです。日本国民へ。古代から日本は他国からの侵略を。様様な形で。防いで来ました。太平洋戦争の多くの犠牲によって。今の生活があります。今一度。本当の真実を。そして本当の歴史を知るべきです。
(匿名 2006年4月30日)
敗けた国もそうだが、勝った国も同じ様な被害を受けるのは、若い兵と弱い女性や子供達です。どこの国も舵取りをする政治家が間違った考え方をすると戦争になるのです。あまり正義を振りかざしても良い結果を見るとは思えません・・・。私たち軍国青年がその証です。
(信夫)