皆様からのメッセージ・17


 はじめてコチラのHpを訪問致しました♪ 私は夏頃になるとよくおばあちゃんから戦争の体験談を聞いたりしています。(広島・長崎の原爆投下や終戦記念日などがあるからでしょうか…) しかし祖父を含め実際に戦地に行ったひとがいない為、戦地でのお話は少ないんです。今月に入って悲しいことにイラクで戦争が起こり「捕虜」というコトバを耳にして辞書で調べたりネットで検索をしていて辿り着きました。私の知らない戦地での貴重な体験をわかりやすく紹介されていて、とてもココロに深く届きました。まるでほんとにおじいちゃんから話を聞いているように絵と文章が素直に私の中にスッと入ったカンジでした。私達若い世代には戦争とは遠くでの出来事になりつつあります。現在起こっている戦争にしてもなんだか他人事のようでもある気がします。そんな私達世代にぜひ訪れてほしいHpだなと思いました。戦争で亡くなられた方に心からお悔やみ申し上げますと共に無事に帰られた作者様のご健康をお祈り致します。ますますお元気で私達にたくさんのお話聞かせて下さい。
(ぁゃ 2003年3月25日)

 僕の亡くなった祖父が生前満州やシベリアに捕虜として行ったという事を聞いていました。木をはっている虫を食べたとか死んだ仲間を埋める穴を掘ろうにも土が凍ってて掘れないから焚き火をして掘ったとか言っていました。それ以外の事は何も知らなかったので検索しているうちにここに辿り着きました。絵だと非常に分かりやすかったです。戦争の体験談になると苦労話しになりがちですがこれらの絵を見る限り人間同士を人間味のある出来事や関係もあったんだと知る事が出来ました。やはり戦争というのはあくまで国家間のやり取りであって個人レベルになると敵国であっても人情味をもって接してくれる人もいるんですね。こういう事は個人でしか言えない事ですから本屋に行っても分かる事ではありません。貴重な体験談を伝えて頂いて非常に感謝しています。ありがとうございました。僕の祖父が経験した状況が少し分かって良かったです。
(もてぎ 2003年3月6日)

 私はあるきっかけで第二次世界大戦関連の話に興味を持ち、いろいろな媒体で触れるようになりました。そして、この画集に巡り会うことができました。うまく言葉が見つからないのですが、とにかく感動しました。大切なのは、新しい世代の者たちがしっかりと語り継ぐことだと感じました。
(たけちゃん 2003年2月20日)

 軽妙なタッチ、瀟洒な色彩、さっと書き上げるすごさ、その中にきちんとした人生観があふれて居r増す。和歌山の平和のための戦争展に使いたい。条件をお教えください。
(林 幸三 2003年2月16日)

 2児の母です。将来、必ず伝えていかなければならない戦争という悲しい出来事を教科書とは違う側面からもこどもたちに教えたいと思い、時々インターネットのホームページを訪れております。今日は、偶然、こちらのHPを見付けこどもの世話もそっちのけで思わず引き込まれておりました。私たちの想像を絶するであろう過酷なご体験の中にも人のあたたかくやさしい部分を大切に見逃さなかった作者の方の心情に涙がでる思いでした。これらの絵は言葉以上のものを見る人に伝えるものだと思います。子どもたちがもう少し大きくなったらいっしょに見せたいと思います。ぜひずっとこのHPがありますように。
(なずな 2003年2月14日)

 とてもつらかったあろう、俘虜生活をほのぼのと表現されているのに、驚きました。どこの国にも、善意に満ちた一般民衆ているんですね。今の北朝鮮と日本の関係も民衆レヴェルで付き合えばなんとか、打開策があるのでは・・・と思ってしまいました。
(clear fish 2003年2月3日)

 すばらしいイラストです。同じ絵描きとして勉強になります。軍服などの正確なディテールも見逃せないところです。資料的価値も高い、貴重な作品ですね。ぜひ拙サイトのリンクに加えさせていただきたく思います。
(Norman Ockawell http://www.angelfire.com/comics/ockawell/index/index.html 2003年1月13日)

 私たちは、小学6年生です。今、社会で戦争について調べています。このホームページの作品を見て大変感動しました。私たちは戦争を体験 してないのでこういう資料を見ないとわかりませんでした。これからも、こういう資料をたくさん作って下さい。ありがとうございました。
(小学生6年生 2002年12月11日)

 母の兄がタイセット地区にて抑留中23歳で他界、幼いころから祖父母の家の仏壇に飾られる伯父の遺影を眺め、当時から写真と登山が趣味の伯父の書き込みの残るアルバムをめくっては、伯父の青春時代や北支演習行軍中の様子などを眺めて、母からその伯父との想い出話を聞かされました。母からよく、聡明で優等生であった伯父にふとした後姿や表情が良く似ていると何度となく言われるたびに必ず、いやもっと立派だったというその伯父の享年をいつのまにか14年も過ぎ、いまだ祖国の土踏まずしてシベリアに眠る伯父の気持ちはいかなるものかと、折に触れて考えてきました。また既に他界した祖父母(伯父の親)は、「岸壁の母」をカセットで何度も聴いては遠くを見つめていました。実は私、10月31日投稿のKaimakikoさんの音楽仲間で、ドイツ滞在12年のオペラ歌手をしております。彼女のホームページから偶然木内様の画集のことを知り、一枚一枚伯父のことを考えながら拝見させていただきました。シベリアの極寒の中に無念のうちに果てた伯父の姿を、木内様の画集の一枚に見て取った思いがして、感無量でした。いつかは彼の地タイセットへ赴き、母の中に生きる伯父にせめて献花したいとの願いから、昨年ハバロフスクの抑留慰霊碑へ献花してきました。今度はタイセットへ赴きたいと考えていますが、情報乏しく、抑留死亡者リストにも名前は無いそうです。せめて所属していた収容所やどの辺りに埋葬されているのかがわかれば・・と考えているのですが、何か良い方法御指摘いただければ幸いに存じます。こうして木内様の画集にめぐり合うことができましたことに、きっとシベリアの伯父もさぞ喜んでいることと思います。ありがとうございました。
(S.FURUKAWA 2002年11月6日)

 このような、ページに巡り会え、感謝いたします。私は、ロシアで2年間学んだピアニストです。ロシア関連の本に、興味があり、最近、ソルジェニーツィンの「イワン・デニソーヴィチの一日」西木正明氏の「夢顔さんによろしく」を読み、シベリア抑留に関心を寄せていたところです。知っておかなければ、という使命感にも似た気持ちでいます。私のロシアにおける2年間も、びっくりさせられることが、多かったのですが、そんなの比じゃないですね。知れば知る程、ものの見方さえも変えさせられるような、衝撃にかられます。今を生きる沢山の人々に、この真相を知ってもらい、自分を含め、心をひきしめてもらいたいと、思いました。わかりやすい、貴重なページをありがとうございました。
(kaimakiko http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/6831/ 2002年10月31日)


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