皆様からのメッセージ・15
わたしが書きこんでも良いのだろうかと迷いましたがかきこませていただきますね。ここのHPは筝曲部で紹介されていたので見にきたのですが、劇団四季のパンフに木内さんの絵が載っていたので、もしや、と思ってまた来ました。わたしも劇団四季の異国の丘を見て抑留の事実を知った一人です。なさけないことですが・・・
でもあのミュージカル見て知ることができたと思います。このようなことを知るいいきっかけになりました。
(ritual 2002年3月31日)
ritualさん、箏曲部からようこそ!
このHPも箏曲部と同じ日に開設しましたが、両方とも見てくださる方は少ないので、とっても嬉しいです。歴史はその証言者が居なくなると何も無くなってしまいます。また、どんなに辛い歴史であっても、それを教訓にして世界の人々と建設的に歩んで行くことが、私たち子孫の仕事なのです。ritualさんも音楽を通じて、幅広い視野でこれからも頑張って下さいね。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
劇団四季の異国の丘というミュージカルをみて、シベリア抑留についてもっと知りたくなり、このHPにやってきました。私はもうすぐ中学3年生です。戦争を知りません。抑留についてもほとんど知識がなく、絵と文をみてとても勉強になったし、いろんなものを感じ取ることができました。ありがとうございました。
(mayu 2002年3月26日)
小生も劇団四季からの要請により、少しお手伝いをしたので「異国の丘」のプレビュー上演を観させて頂きました。小生の抑留された地区は欧州寄りなので、一般に云うシベリアとは少々境遇が違いますが、ご覧になられた通りです。ほかに何かご質問がありましたら、又お答えいたします。
(信夫)
私の父もシベリア抑留者です。シベリア時代の話は何度か聞きましたが、このように絵で見せていただくと、抑留生活のことが良く分かります。ありがとうございました。ところで、私のホームページにも父のシベリア時代の話を掲載しています。http://homepage1.nifty.com/musica/siberia.htm(カラガンダ ウーゴリ会会報から「音楽班でのこと」)あの時代に、シベリアで日本人捕虜の楽団があったのです。
(森口 岳雄 http://homepage1.nifty.com/musica/takeo.htm 2002年3月8日)
お父さんはお元気で居られますか?小生は医者知らずの元気です。貴君のHP拝見しました。音楽は世界の合言葉ですね。小生と武蔵野音大出の吉田氏(旧ミュージカルアカデミー社長)と二人で徹夜で楽譜をドイツ人の楽士達13人にそれぞれ3曲ずつ渡して演奏してもらいました。彼らの中にもベルリンフィルの優れたバイオリニストがいて、日本の曲を初見で軽く演奏してくれました。嬉しかったです。
(信夫)
先日テレビ番組の「知ってるつもり」でシベリア抑留生活をしていた方が取り上げられていて戦後に大変な生き方をしていた人たちがたくさんいたものだと驚きを隠せませんでした。自分のような高度成長期に生まれた者にとって程遠い過去の事ですが、このホームページのイラスト集を見てよく知る事ができました。このような過去の事は決してあってはいけないですが、子供には言い伝えていきたいですね。
(かずひろ 2002年2月27日)
世界が今も高度な武器を製造している様では、いずれ戦争になると思います。我々戦争体験者は止めさせたいと願っても、後から生まれる人間(特に男)にも欲のある限りこれを止めることが出来ないのが残念です。しかし、子供たちのために諦めないようにしましょう。
(信夫)
旧ソ抑留画集、拝見させて頂きました。木内さんのお人柄が伝わって来るような良い絵とコメントで、読後、爽やかな心地になりました。まとまらない感情と駄文ですが、木内さんのメッセージは受けとめる事が出来たようには思います。
(別府の駄目学生 2002年2月27日)
見たまま思ったままを描き残したもので、後々の人達に参考になればとても嬉しく思います。尚、見る人によって感じ方も違う様です。お友達と語り合ってみて下さい。
(信夫)
こんにちは、すばらしいホームページありがとうございます。私は現在、知り合いのハバロスク抑留時代の手記を簡単な本にしようとしています。知り合いは、「手記をワープロで見やすく作ってくれればいい」との事でしたが私として地図や写真も入れたいと考えています。何かアドバイスがあれば教えてください。
(樋田 2002年2月22日)
ありがとうございます。さて抑留の本の件ですが、まず必要なのは本を読まれるのはどのような方々が対象であるかです。少なくとも若い方々が読まれる場合、付録としてある程度の歴史資料(年表その他)があったほうが良いと思います。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
偶然、ソ連抑留画集を拝見しました。最初の数枚を見て引き込まれ、見ると言うより読み進んでいました。最後の帰還のところでは、涙を禁じ得ませんでした。胸を打つ内容です。私の父も帰還兵でしたが、台湾で終戦を迎えているので満州や南方戦線と較べると天国のようなものだった(父)らしいです。しかし、市井の民にとって戦争とは勝ちも負けもないくだらないものであることがよく分かります。勝つと信ずることしか知らされない多くの米国民が哀れです。
(紙 隆光 2002年2月20日)
戦争のむなしさは、誰もが知っていながら続く悲しい人間の業でしょう。でもあきらめず、平和への努力もすべきであろうと思います。
(信夫)
こんにちは。歴史を伝えてくれるHPをつくって下さり、ありがとうございます。私のように戦争を知らない者にはとても貴重だと思います。実は私の婚約者はウクライナ人なのです。アメリカに住んでいる時に知り合いましたが、アメリカはたくさんの人種が住んでいるので多くを学び、一番貴重だったことは皆同じ人間だということでした。人類は皆兄弟だからつまらない争いはしないでほしいという意見は私が感じたことと同じです。私の父は戦争当時幼い子供だったそうですが、いろいろな難しかった経験は今でも消えないらしく、婚約者に対してもはじめは戦争当時のコンセプトがとれなかったらしく大変でした。大変な苦労をされながらも恨みをもたず、世界の人が幸せに暮らすことを願うあなたの心に感動します。これからも頑張ってください。全ての人が理解し合える平和な世界がきますように。
(しの 2002年1月1日)
合衆国はいろいろの人種で楽しかった事でしょう。人の心は相手の心へそのまま映るものです。あなたのやさしい心はきっとどの国の人にも通じる事でしょう。ウクライナの人達はとても日本に友好的です、いつまでも仲良くしてあげて下さい。
(信夫)
初めまして、今日13年12月9日奇しくも太平洋戦争の開戦翌日ですが、ある番組を見て意見を述べさせていただきます。私の父もシベリヤ抑留の経験者でありますが、私の前では一度もその悔しさむなしさを言ったことはありませんでした。亡くなった今父の足跡を見たいというのもありますが名誉を回復したいというのもあります。是非資料を発掘していただきたいものと思います。
(えいしん 2001年12月9日)
えいしん君のお父さんも小生も当時の若者は皆お国の為を思って戦地に赴きました。当時の教育もあって純心なこころであった事は事実です。勝っても敗けても良くはない。これが戦争です。
(信夫)
シベリア抑留のページ読ませていただきました。どんな苦境でも前向きに生きている姿に感動しました。僕は今日やることがないので油絵でも描こうと思い、キャンパスに向かったのですが、筆が進まず、何かヒントを得ようとビールを飲みながらパソコンをいじっていてたまたまこのHPを見ていたのです。あんたすげー。戦時中、戦後の情報はたくさんあって、何を信じていいのかわらないけど、とにかく感動しました。
(ヨウジ 2001年11月4日)
ありがとうございます。歴史というものは常に評価が変わってしまうので、信じるのではなく客観的に判断するしかありません。このHPを通じて皆さんに信じてもらいたい事は、人間のたくましさ、優しさ、愛と友情、そして慈しみの心。それは人種や民族に関係のない人類共通の財産だと思います。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)