皆様からのメッセージ・13


 画集興味深く拝見させていただきました。私の小さい頃、近所に叔父さんが抑留経験のある方でしたが、抑留の話をあまりしたがらず、幼少の私には、抑留体験は非常につらく過酷で、あまり触れられたくはない記憶というイメージがありました。しかし、貴殿の絵には抑留生活のつらさは当然のこと、むしろ人種をこえた仲間のつながりや信頼感が読み取れ、心を動かされました。現在は平和ですが、戦争という過酷な状況がなくとも、貴殿のように、自分より仲間を思いやる心持に至れるよう、自分に言い聞かせるました。感動しました。また、新作あれば見てみたいので案内いただければ幸いです。
(匿名 2001年9月5日)

 15年前に亡くなった父が、同じ世代(大正14年生まれ)なので、父を思い出しながら、見させていただきました。(父は終戦時は台湾にいたそうです。) どんな時代でも人と人のつながりは変わらないということを初めて知りました。大変な体験をされているのに、「異国に暮らす人々も自分と同じときに笑い同じ時に泣くことを知ったから」と温かい視線で描いていらっしゃるのが、驚きでした。個人的な感情を抑えられている分、強く印象に残るように感じます。これからも頑張ってください。楽しみにしています。
(玉川 http://www2.rui.ne.jp 2001年8月31日)

 56年昔の自分がむくむく目覚めてきた気持ちで目頭が熱くなり体の震えが止まりません。私は19歳でサイゴン沖で輸送船沈没。生あって生きのびて現在に至っておりますが大半がサンジャク沖に消えました。その時の戦友の冥福を今日も祈るのみです。合掌
(m,n 2001年8月16日)

 昨年父が亡くなり、遺品の中からシベリア抑留中のメモや誰かか書いたと思われる絵などが出てきました。(そんなに多くはないのですが)実は父の生前からシベリア抑留関係に興味があり、子供の世代で忘れないように記録に残していかなくては行けないと思っていたのでしが。実は、私の仕事はマスコミ関係で本を書いたりもしています。そこで、この遺品をきっかけにシベリア関係のことをもっときちんとしたいと思ってHPで検索していたら、この素敵なHPに出会ったというわけです。単純に作品集に感動しました。こんなにきれいな形で絵にの残されているなんて良いですね。
(匿名 2001年8月14日)

 木内信夫さん こんにちは。「旧ソ連抑留画像集」を拝見したのは1999/7/6でしたから、2年の歳月が過ぎました。益々清祥に有られることと慶賀もうします。今年は終戦56回目に当たり、戦争の語り部の高齢化を思い世代の移りをしみじみとかんじおり、時の成年も傘寿にほど近くなり語りは珠玉に当たると自負しています。この度、アドレスを確認記録し語るより目に見たまえとリンクの便をはかりました。よろしくお願い申します。おくれましたが、小生は1945年10月に弥勒洞から興南ポセット港を経て12月の暮れにタンボフのラーダに1年、カザンのエラブカに1年で帰還 ナホトカ港から舞鶴港に復員しました。スバラシイ!! 力作の画集に讃辞を呈します。
(横浜 自 然 http://member.nifty.ne.jp/jinen/ 2001年8月9日)

 今、この時代には誰も知らない日本の本当の姿を教えてくれる人が少なくなりました。シベリアの抑留者ということさえ知らない人がいっぱいです。過去を知らないで外国の人の言うことを鵜呑みにして日本人は悪逆非道な人種で有るというようなことを、信じている人が多いのに憤りを感じます。これからも人々に本当のことを教えてあげる役目を続けてください。お願いします。
(きむらあきお 2001年7月19日)

 多くの方にこのメッセージを伝えたいと思いました。言葉に出来ないのですが、込み上げてくる涙がとまりません。お孫さんと和やかな雰囲気で写っていた写真が浮んでいます。今は、これだけしか書けません。また・・
(匿名 2001年7月15日)

 僕は24歳の無職の者です。この間、僕の尊敬する中国の先生が亡くなりました。その先生は戦時中の大連で育ったので、日本語はとても上手でいろいろな話をしてくれました。先生は学生の時、戦争前の日本に修学旅行で来たときの話や戦争中の満州にいた日本人の話などをしてくれました。修学旅行で日本に来た時もその頃の瀋陽には日本街があったので日本に来てもそれほど驚かなかった事や自分の知っている大連の日本人はそれほど悪い事はしていない事など実際に目で見たことを出来る限り客観的に話をしてくれました。 その先生は当時の日本の先生を尊敬していると話してくれました。僕は今その先生を尊敬しています。その先生は日本の総理大臣が靖国神社を参拝しないことに凄い不満をもっていました。もちろんその先生の意見は中国でもごく少数の意見です。 実際に中国の人の客観的な意見を聞く事は国の事情や影響があってとても難しいと思います。僕が言いたいのは日本が悪くなかったとかそういうことではなく、その人が日本に対して抱いた尊敬の念というものや、良い事か悪い事かわからないにしろ日本の為に命を落とした人に対して靖国神社を参拝しないで外交を済まそうという安易な考え方には納得をしないで貰いたいという事です。 これから先、戦争を語る事が出来る人たちというのはどんどん減っていってしまうと思います。戦争は決してあってはいけないものです。ただその戦争というのは一人歩きした部分もあるとは思いますが、その中に人間が今と同じように血を通わせて生きていたという事をどうにかして自分の中に吸収出来ないものだろうかと思います。 右とか左とかではなく生の声を戦争を知っている方達にもっと発信していただければ嬉しく思います。戦争中と戦後で空気が変わって言える事というのは限られた事かもしれませんが、もしよければお話をしていただければ幸いです。文章が下手ですいません。 これからも頑張ってください。
(todoroki 2001年7月6日)

 末期の癌患者となった父を私のマンションに預かって暮らし始めました。お医者さまは「1ヶ月もご自宅ですごされたらよいでしょう。」とのことです。父(大正5年生まれ、85歳)もシベリア抑留の体験者です。NHKで放送された「シベリアへの道」ビデオに取って見ています。このHPの絵も父に見せたいと思います。
(michiko 2001年6月20日)

 偶然知り合ったご近所のご老人の話から、「シベリア抑留体験記」というHPを立ち上げました。 「北海道分割」「京都事件」等々知っていなければならないことなのに、恥ずかしい思いでした。http://y7.net/akiyama 同じサイトをと思い、検索していてこのページを見させて貰いました。息子さんがお手伝いなされているとか。先の戦争がなんだったのか、日本人を苦しめたのは何だったのか、若い人に是非考えて貰いたいと思います。ユーモラスなスケッチが、当時の苦しさを的確に表していると思うと同時に、今、貴方が平穏なお気持ちでおいでになられていることを思い浮かばせます。一層のお活躍を期待しています。
(秋山 2001年6月5日)


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