皆様からのメッセージ・9
興味深いHPでとても面白かったです。戦争で検索していたらたどりつきました。戦争はあってはいけないことだけど、戦争によっていろいろと教えられたことも多いと思います。私は劇団エムズカンパニーに所属する者ですが、今回ミュージカルで戦争をテーマにもってきました。タイトルは「あの窓の向こう」今回主人公の四人姉妹は、55年前の戦時中へと旅します。戦争の記憶が薄らいでいくなか、私達が、そして子供達へと受け継いで行くもの。ーーーみんな無理にも笑ってその日一日一日を一生懸命生きていたんだよーーー8月20日、三鷹市芸術文化センターにて公演致します。戦争をしらない子供達が主演です。子供達なりに、戦争という事実を理解して稽古に励んでおります。お客さんがどう感じるか、何かをうけとって帰っていってくれることを望みます。管理人さんも、ここのHPをご覧になっている皆様ももし機会がありましたら是非観にいらしてください。詳しくはHPをご覧下さい。それでは、ありがとうございました。
(聖子 http://www.kuma.net/Mscp 2000年7月29日)
父の作品を見て下さってありがとうございました。20世紀はあまりにも犠牲の大きい世紀で、しかもその犠牲の多くは戦争によるものだといいます。次の時代を迎える今こそ、若い我々がしっかりしなければいけないのでしょう。聖子さんの劇団もそうした努力のひとつだと思います。多くの犠牲によって得た今日の平和を、21世紀の子供達に残すことこそ亡くなった方々に報いることかも知れませんね。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
最近インタ−ネットを始めまして、私もシベリアに抑留されていました。昭和23年9月に帰国してから、シベリア抑留記を忘れぬうちに書いておきました、75才で仕事を辞め、日記がボロボロに成っていたので、H.Pにしてみました。しかしこんな絵で見ますと、抑留地がかわっても同じ様な体験をしたんだなと、懐かしく拝見させて貰いました、抑留記だけでは、と思い、神戸のかわった写真館や、過去のステンドグラスの作品をませています。私達の年代の人はインタ−ネットもEメ−メも出来ません。でも建築士としてJW−CADで設計をしていたのでやっとPC.デジカメ、スキャナ−も揃えてどうにか、50年も前にかいたものをHPにやっと立ち上げる事ができました。でも早くからこんなに良いHPが有ったとは、大変感心しています。
(sHo-un http://www5a.biglobe.ne.jp/~sho_un/ 2000年7月23日)
お互いにいい体験をしましたね・・と、無事に還れたから云えますが、凍土の下で眠っている戦友を思うと胸が熱くなります。お体を大切にして下さい。また美しいステンドグラスを見せてもらいました。本物はもっとすごいんだろうなあと、暫く目を楽しませていただきました。
(信夫)
こんにちは今日邦楽のHPから来て初めて見させてもらいましたが、やはり絵があると解りやすいですね。この絵を見ると、昔見た、のらくろを思い出します。うちの祖父からは、あまり戦争のことは聞いたことがありません。ロシアには行っていないみたいですが、朝鮮で列車を動かしていたと言っていた気がします。あと、まんとう(まんじゅう)売りが多かったというぐらいしか聞いていません。本などでは、捕虜に対するひどい話も見たことがありますが、このように実体験を読ませてもらうと、場所によって扱いは違ったのかなと感じます。また、第一次大戦と、第二次大戦とでは日本の(またはその他の国の)捕虜の扱いが変わったとどこかで聞いた気がしますが、どうなのでしょう。あと、ここに出てくる兵隊さんたちは、何かかっこいいと感じました。
(009 2000年7月11日)
捕虜なんてかっこいいもんじゃないですよ。故国に妻子を残してきた35〜40才の兵は、1日も早く帰りたかったろうし、我々のようにお国の為に死んでもよいと思っていた若い兵とは感じ方が違います。小生は特に楽天的だったので、苦しいことも辛いことも頭の中で絵になっただけです。
(信夫)
はじめまして、私の父も旧ソ連抑留の経験を持つもので木内さんのHPの話をしましたら、是非見たいとの事で今回書き込みをさせていただきます。父はエヘルカンの202収容所に連れてこられその後ウラジオストックの製材所に7ヶ月おりナホトカから24年の8月に帰還したそうです。あまり当時の話を話さないし、聞かなかったりで父の足跡を知らなかったのですが、木内さんのHPのおかげで少しばかりですが知る事ができ、とてもよかったです。父はとにかく一言めには「何よりも平和が1番!」と必ずいいます。またHPの中の画集を見て父も同じような経験をしてきたのにその事をおくびにも出さず、いつもニコニコしている姿を見るとなんてすごい人なんだと心から尊敬してしまい、このメッセージを書いています。今PCが会社にあるので、父にこのページを見せられないのが残念です。1つ質問ですがお父様の画集は出版されているのでしょうか?もし出版されているのでしたら購入方法を教えていただけますか?よろしくお願いします。ながながと書き込んでしまい失礼いたしました、これからもいいページを作り、がんばってください。失礼いたします。
(大嶋雄介 2000年6月9日)
「何よりも平和が一番」、これは我々戦った者と、戦争を知らない現代の人と感じ方が違うと思います。短い言葉ですが「腹八分」と同じくらい重みがあると私は信じます。お父上がご存命のうちにいろいろ聞いて後世の参考にしてもらいたいです。
(信夫)
メッセージありがとうございます。ご質問にある画集の出版の件ですが残念ながら出版はされていません。大嶋様のように出版物で見たいというリクエストは以前から数多く頂いております。現在のところ諸費不十分のため出版を見送っております。大変申し訳ありませんが、大嶋様のお父様にはHPでご覧下さいませ。なお、HPの作品も少しずつ増やしているので、ぜひこれからも見に来て下さい。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
義父もシベリヤ抑留者でした。大変な経験でしたがあまり恨みがましい事を言わなかったのは日本の侵略という事実の前に声高に言えなかったものと思っています。個人的な体験として一文を残していますが戦争に翻弄される人間の悲しさを書いていて、戦争は何もいい事はないと言っています。声高く戦争反対も必要です。そしてその声を支えるこうした人々の絵や文もなにより必要です。義父は亡くなりましたが父上様の健康と長寿を祈ってやみません。
(−−−− 2000年6月7日)
戦争の為、不幸になった人は多く居ます。幸いにして生還したので逆にいい体験にとなり、当時鍛えられた身体が思わぬ役に立ったのも事実です。人間、終わり良ければ全て良しと思い、これからも世の中に為になる様心掛けています。
(信夫)
戦中、戦後の苦労を知るものが少なくなり、今、この作品を見て、若い多くの人達に見てもらいたい。再び、同じ道を歩むなと願う。
(長尾 俊於 2000年5月29日)
ご高齢の方々に見て頂き、同じ思いになります。このHPは若い人も見られ、最近は学校の授業で先生と一緒に見ているらしいです。小生はロシアの方にも見てほしいと願っております。長尾さんもいつまでもお元気でいて下さい。
(信夫)
はじめまして。私の父に教えてもらい寄らせて頂きました。実は、他界した祖父がソ連抑留されていて、その当時の手記を残しています。それを、わたしのHPに途中ではありますが掲載しました。よろしければ、覗いてみてください。お父様と重なる部分があるのでしょうか?わたしには良く分かりません。祖父は昭和31年の引き上げで日本に帰って来たそうです。
(civcivかあさん http://www.page.sannet.ne.jp/anatolia/ 2000年4月26日)
私の父と重なる部分は多少あるかも知れませんが、その時代の人々が皆共通の体験をしている訳ではないと思います。歴史を評価する上で大切なのは、一方の側から見るのではなく、様々な側に立った証言を残すことなのでしょう。ですから、貴方のHPは歴史の記録として大変重要な意味を持っていると思います。こうした沢山の証言を残すことが我々若い世代の役割なのかも知れません。ぜひ、頑張って続きを作成してください。 感動致しました。イラストが、実にユーモラスで、楽しい! 当時の苦しみを、その様にとらえられた視点に、尊敬の念を、ささげます。私の姉も、終戦時、新京で、ソ連参戦の報に死をえらびました。今も私に、戦争のことは、終わっていません。がんばって帰国された方々に、感動しています。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
(小林 和子 2000年4月10日)
お姉さんは当時の素晴らしい日本女性だったと思います。小生等兵も多く自決した者も居りました。小生も自決をと思いましたが、3名の古兵が全員妻帯の召集兵だったのが小生の運命を変えてくれました。今ではその3名の古兵に感謝して居ります。 今まで見てきた戦争画にない優しさがあるのは、やはり作者の方の優しい視線や気持ちがそうさせるのだと思いました。とても感動しました。ありがとうございました。
(信夫)
(鶴巻 2000年4月6日)
戦争が終わり、なんとか生き残って妻子の待つ故国へ還れると思った先輩の戦友が、ここで凍死や病死したことがやはり心残りです。一人の死は多くの人を悲しませます。しかし一人の幸せはみんなの幸せにつながるんだなあと思いました。
(信夫)