皆様からのメッセージ・8
木内さんの絵から人間への愛を感じました。私たちには想像もできないような厳しく辛い体験や苦労をたくさんなさっているのに、心の根っこの温かさを失わなかったなんてすばらしいと思います。私は将来小学校の教師を目指しております。それが実現したときは、生徒に戦争の話をすることができたらな、と思います。
(玉川 2000年3月12日)
私の絵の奥にある意を深く読みとってもらえ、嬉しくて涙が出る。戦友達もきっと天国で喜んでくれているでしょう。いい先生になって後生に伝えて下さい。 私の祖父は、私に「満州にいた、足には鉄砲の弾が入ってる」と、小さい頃から言っていました。何時からか、口下手になった私は祖父ともあまり話をしなくなり、3年前に祖父は他界しました。話が出来なかったこと、とても後悔しています。今になって祖父の事をもっと知りたいと思いインターネットで調べ、あなたのページを見つけました。絵を見て文を読んでいると祖父のことを思いだし、涙が出てきました。私が知っていることは「満州にいた」ということだけですが、同じ満州で起きていた出来事が、知れれば良いと思っています。これからもいろいろ教えてください。
(信夫)
(美優 2000年2月29日)
お爺さんともっとお話がしたかったでしょうね。残念でしたね。聞けば現在には無いいろいろな事が教えてもらえたと思います。小生は画家ではないが、幼い頃から絵が好きで描いていたので、話はまずいが、半分は絵で子供達に伝えました。又長い話を17字のような句(川柳)で表現しています。 ホームページ拝見しました。実はいま、知り合いから元ドイツ軍少尉がカザンの収容所で一緒だった日本軍将校を探しているのですが・・・と頼まれてネットを探していました。木内様はカザンにいらっしゃったようなので、もしやと思いメールしております。私が作ったページが
http://www.ne.jp/asahi/wwii/panzer/stalingrad.htmlにあります。よろしければ一度見ていただけないでしょうか。
(信夫)
(滝口 彰 2000年2月3日)
小生の知るところによると、当時のソ連軍は日本の将校集団、下士官集団、兵集団と捕虜を3種に分けて収容したようです。特に将校集団は寒い過酷な土地に収用されたと聞きます。小生は下士官集団に入れられ、遠いヨーロッパへ来たので、日本に近いシベリアより少し遅れて帰国しました。半世紀も前のことですから、80歳以上の方と考えられます。期待に応えられず申し訳ありません。 私の祖父も抑留された体験があったので、見てみました。これを見て、平和であることを願います。
(信夫)
(酒井 2000年2月2日)
お爺さんはお元気なのでしょうか?もしお元気なら、今のうちにいろいろと当時のお話を聞いて下さい。きっとためになるお話をして下さると思います。 シベリア抑留問題と昭和54年から取り組んでいます。このたびパソコンを導入しました。私のホームページにシベリア抑留についての記載や、解除されたソ軍文書やスターリン時代のソ連刑法の日本語訳の本邦初公開があります。
(信夫)
(ゴジラズワイフ http://www1.odn.ne.jp/greiko/ 2000年1月10日)
歴史とは、一方の側から見てしまうと“敵と味方”“善と悪”といった偏った考え方になってしまいがちです。私たち親子はHPを通じて、人間愛が歴史から消えないように訴え続けていきたいと思っています。ゴジラズワイフさんも研究頑張ってください。 とても素晴らしいものをみせて頂きありがとうございました。シベリア抑留は悲しい歴史として悲惨な面ばかり教えられてきました。しかし苦しいことばかりではなく、生活の喜びもあったのですね。どんな極限でもわかりあえる瞬間があるのですね。大変感動しました。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
(西川 直樹 1999年12月30日)
戦争の苦しみは勝者も敗者も同じです。ロシアの一般人も決して戦争を好んだ訳ではありません。ドイツもハンガリーもチェコも皆同じです。解ってあげてもらえて嬉しく思います。 僕は中学生ですが、祖父がソビエトの捕虜になり、強制労働をさせられたそうなので、思わず見てしまいました。祖父にも当時の体験を聞いてみたいと思います。
(信夫)
(今野 1999年12月28日)
君のお爺さんは、とてもすごい体験をしてます。お爺さんが丈夫なうちに、たくさんお話を聞いて下さい。 自分の祖父の弟が抑留したので、思わず見ました。(平成9年没)、
(信夫)
(松本 1999年12月20日)
肉親の方がお亡くなりになるのは大変残念なことですね。そしてまた、歴史の証言者も減っていく一方なのかも知れません。少なくともこのHPがそうした御苦労された方々のお役に立てればと思っています。 日本人の戦争の話はTV、本映画でありますが、作り物にしか見えず、実際どういうものなのかはかり知れない伝わらなさがもどかしくあったんですが、今日初めて戦中を身じかに感じさせていただきました。見る前は暗い暗い世界と思ってましたが、とんでもない!明るく強くて、思い遣りがあって、開けた心があったんだ、よかった、と思いました。私の中の日本の戦中のイメージが暗すぎたので、不謹慎かもしれませんが、ちょっと救われました。ありがとうございます。さらに伝えていってください。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
(mituco 1999年12月16日)
お国の為にと思っていた戦争は、どの国も庶民は反対だったようです。特に明るいスラブの民族性が印象に残りました。ドイツもポーランドもチェコのハンガリーも、みんな同じでした。笑って話せば笑って応えてくれました。世界中は兄弟です。 偶然通りかかったのですが、貴重な絵を拝見して嬉しくなりなりました。 インターネット上のHPはあらゆる人に情報を配信することができます。このHPは2000年以後も平和の語り部として続けて行きたいと思っています。
(信夫)
(秋元健一 http://www.asahi-net.or.jp/~qk2k-akmt/ 1999年12月13日)
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)