皆様からのメッセージ・7
戦争を知らずに生まれてきた自分です。この絵をとおして、まるで「絵本」の世界のように感じてしまいます。それは、あまりにも非現実的に感じてしまうのです。もちろん、疑っているわけではないのです!そうでなくて、こんな時代があったことは、今の日本を見ていて想像もつかないのです。だから、このページをみて今まで知らなかった日本人としてのルーツを知ることができてよかってです。ありがとうございました。また、私のサイトからこのページへリンクさせていただけませんでしょうか?少なからず、この戦争の日本を私のサイトに訪れた人達にも知っていただける機会があればいいなと思います。宜しくお願いします。
(ogawa http://gate.land.co.jp/ogawa/ 1999年12月6日)
はじめまして。私はこの画集の作者の息子でHP管理者です。私たちが知る近代史は映画やドラマのように脚色されたもので、そうしたイメージもオーバーラップして違う世界のように感じるのでしょう。しかし、現実には地球上のいたるところで今でも戦争があります。少なくとも今日の平和は、互いを武器で脅すことによって成り立っています。残念なことです。父の絵にあるように、心と心のふれあいによって平和が築かれるまでこのHPを続けていきたいと思っています。また、リンクの件ですが、大歓迎です。ぜひこちらからもリンクさせてください。 僕は高校の演劇部に所属しておりつい先日地区大会でシベリア抑留をテーマとした「海のおとずれ〜ろんろんと〜」という劇をやりました。大会前にこのページを見ればよかったと後悔しています。僕にとって非常に感慨深いものでした。全国にはいけなかったのでお見せする機会がないのが残念です。それでは。 演劇部で良い体験をしていますね。抑留の絵を見て感じたら、もう一度納得のいく劇に挑戦してみてはいかがですか。君ならきっとやれると思います。私も老齢ですが、頑張っていろいろ描いたり作ったりしています。ナオキ君も負けないで頑張りましょう。 今まで祖父から戦争の話を聞かされても、外国に行って戦ったことを現実感がなくとっていましたが、このHPをみて祖父だけではないんだと実感しました。日本史でいろいろ教えてもらったけれど、それは頭でしか理解してなく、現実感が持てていなかったことを知りました。絵についているコメントの一言一言に感動しました。 まだ若いはるかさんには、少し刺激が強かったようですね。でも戦争をしてきたお爺様や小生は、どんな事があっても戦争だけは反対するでしょう。誰かさんが云ってました。「世界中の女性が自分の産んだ子を兵隊にしなければいい…」と…同感です。きっと世界に平和が来ると思います。 今、社会で戦争について習ってるので何か言い情報はないかと、インターネットで探していたらこのホームページをみつけました。なんだか、読んでたら悲しくなって、読み終わったとき神尾憲一さんの曲をきいてたら、涙が出でしまいました。今では想像もつかないことですね。学校の先生が言っていた戦争には勝者はいない。敗者だけなんだ。というのが、少しわかったと思います。みんなにも少しでも、戦争についてわかってほしいです。 10代はいろいろな事を覚え、そしてそれを可能にして行ける年頃です。我々も10代が戦争中とはいえ、国を思い、親を思い、友を信じ合って、それなりに良い青春だったと思います。今でも生き残った友は兄弟同様のお付き合いをしています。あの頃と違って、今は将来の目標が自由だから、良い道をしっかり選んでください。 偶然見つけたのですが、絵が生き生きとしてますね。シベリア抑留について興味はあったけど、本などは読んでいませんでした。やっぱり絵っていうのはいいですね。辛いことも、楽しいことも、それは人生の宝なのかな? 私の祖父も、シベリア抑留から帰還し、今も元気に工場で働いています。その影響で、私はロシア語学科に入学したのですが、このホームページを見て、こんな生活をしていたんだと、改めて思いました。イルクーツクや舞鶴の話は祖父からも聞きましたが、絵が入っているとわかりやすいですね。また時々見にこようと思います。 ロシア語を習っている10代の娘さんと聞いてとても親近感がつたわります。このHPもきっといつかロシアの若者達にも見てもらえるかもしれません。その時は翻訳をお願いしたいくらいです。今後のあなたのご活躍にお爺さんもよろこんでくれると思います。 旧ソ連抑留画展を初めてインターネットで見ました。是非1冊の本にまとめて残して欲しいと思います。 ありがとうございます。福井さんと同じリクエストは多くの方から頂いております。本に関しては、現在、ある出版社と検討中で、出版する方向で話を進めています。私の父という極めて肉親の作品ではありますが、私自身もこの作品を20世紀の遺産として未来の人達のために残したいと思っています。 はじめまして。偶然このホームページに出会ったのですが、木内さんの子供の頃から戦時中、シベリア抑留への貴重な歴史を拝見させていただきました。(特に子供の頃の絵に、可愛らしい猫が描かれているので、猫好きの私は暖かい気持ちになれます。また、どの絵を見ても「顔の表情」がすばらしいのに感動いたしました。) 私は小学生のときから「戦史」に興味があり、よく図書館に通ったり、本を買ってもらったりして読んでいました。今も本などを読みますが、「第二次世界大戦」について、「なぜ起きたのか」といった事が深く分析されずにいることが多いような気がします。悲惨な戦争をしないためにも、単に「戦争は悪い」だけではなく、あらゆる面から分析していくことが必要だと思います。一人でも多くの方にこのホームページを見ていただきたいと思います。お体を大切にして、これからも作品を続けてください。言葉は通じなくても心はわかる、心が通じ合うことのすばらしさ。私も旅行先のアメリカで強く感じました。私は昨年から趣味の「写真」で自然の美しさを撮影しています。いつまでも、世界中の自然が美しいままでありますように・・・ 自然を大切にする人ばかりなら戦争は無いと私も思います。国のトップに居座るほんの一部の過激な人間が大勢の庶民を巻きぞえにしかねません。みんなで渡れば恐くない的な思考から戦争へ加速してゆくことが常です。少なくとも貴方のまわりの人達には美しい自然を撮った成果を見せてあげて下さい。 丁重なご返信誠に痛み入ります。シベリア抑留画集を楽しく拝見致しました。川柳あやめに江藤一市さんがシベリア抑留記を連載していましたが、これまたおもしろい話ばかりです。共通するところは苦労を楽しみに替えてしまうパワーなんでしょうか。「シベリアで過ごしたパワー子や孫に」可福 私もあの頃のパワーはすっかり使い果たしたから、今度はお子さんやお孫さんから少し分けてもらいたいと思ってますよ。それが長生きの作戦です。 「戦争を知らない子供たち」の歌が私の10代後半から20代にかけて歌われていました。戦争を知らないことは戦争について鈍感になることに通じるのかもしれません。戦争について知ること、そして再び戦争をおこさないことが私たちの世代の責任だと思います。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
(ナオキ 1999年12月5日)
(信夫)
(はるか 1999年11月30日)
(信夫)
(しょう 1999年11月5日)
(信夫)
(おおぎた 1999年10月31日)
辛いこと楽しいことは世代によって感じ方が違うので何とも言えませんが、少なくとも経験は人生のなかで必ず役に立つと思います。また、自分の経験や体験を人にわかりやすく伝えることも大事だと思います。絵は言葉が無くてもわかるので重要な方法だと言えますね。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
(晃之進 http://pweb.sophia.ac.jp/~t-shindo/ 1999年10月23日)
(信夫)
(福井 光子 1999年9月10日)
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
(桐原 1999年8月26日)
(信夫)
(酒井可福 1999年8月6日)
(信夫)
(木犀 1999年8月5日)
「戦争を知らない子供たち」の歌は戦争の愚かを忘れてはいけないと云う裏もあるように思われます。「平和でいたい」と誰もが望むところです。まして母が自分の子を戦争に出したいなど世界中さがしてもあまり居るとは思いません。世界中の女性が大きな声で反対すれば少しは世の中が変わるかも知れませんね。 子供が通っている塾のHPで、社会科に役立つようにとこちらHPが紹介されておりました。私の父も戦後2年程旧ソ連に抑留されたと、子供の時から聞かされておりました。抑留されていた頃の父の年を越えても、まだ本当の辛さはわかりません。ただ、父が無事に帰る事ができたから私が今ここにいます。社会の歴史資料としてではなく、先人の方々のご苦労の上に今がある事を子どもたちにも教えていきたいと思います。81歳になった父はとても元気でおります。
(信夫)
(ぺり 1999年8月3日)
小生の戦友で4年現役を勤め除隊、同日付けで引き続き召集され、そして終戦。そのままソ連抑留4年と云う人も数人おりました。20代の青春を戦争で過ごしたけれど、戦死より良かったと思います。お父様を大切にしてあげて下さい。 ことし他界した私の祖父もまた、満州やソ連に戦時中、戦後にわたっておりました。そこで様々な辛い経験もしたようですが、直接は聞く事ができませんでした。しかし、祖父の死後、あらためて戦争について私達若い世代が知らなければいけないような気がしました。特に、満州での様子について知りたかった私に、こちらのHPがイラストと共に様々なことを教えてくれました。祖父の経験とは違うところも重なるところもあると思いますが、今の自分の恵まれた暮らしに感謝し、平和を願う気持ちでいっぱいになりました。ありがとうございました。
(信夫)
(高橋 1999年7月29日)
あなたのお爺ちゃんも大変御苦労なされたことと思います。軍隊はその人によりかなり運の良い人と悪い人が部隊によっては違っていました。無事に帰還できた人は良かったと思ってあげて下さい。戦争は無いにこしたことはありませんが、事は思いと逆流する時がしばしばあります。 感激しました。生きるって、すばらしいことですね!。
(信夫)
(バルザイ 1999年7月22日)
ありがとうございます。若い方からのメッセージに父も喜んでおります。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)