皆様からのメッセージ・5
はじめまして!突然のメールで失礼いたします。(財)AVCCの山田と申します。わたしたちAVCCは、情報伝達(コミュニケーション)・教育における映像と音響、コンピュータ通信の活用の研究・開発・普及を行う労働省・文部省共管の財団法人です。96年より普及啓発活動の一貫として人々の生活や教育、生涯学習に役立つサイトを見つけ出し、みなさんに知っていただこうという活動を行っております。【公共ホームページ[good
site]運動】 さて、この度「7月版おすすめサイト」として7月15日より貴ホームページをAVCCの[good
site]ページで紹介させていただいております。事後報告となり申し訳ございませんが、ご了承いただきたくお願いいたします。
(山田 瑞恵 http://www.avcc.or.jp/goodsite/ 1998年7月15日)
おすすめサイトとして評価して頂き、本当にありがとうございました。このホームページの絵は父が個人的に描いていたものでしたが、戦争を知らない私が見ても、自分の体験ような錯覚に陥るほどの親しみやすさがあったので、皆が見てもきっと面白いと思いインターネットに紹介したものでした。しかし、ホームページを開設して以来、多くの方々から激励のメッセージを頂き、開設して本当に良かったと思っています。ときどき海外からもメッセージを頂くこともあります。インターネットは世界を繋ぐ平和の糸なのかも知れません。山田さんをはじめAVCCのスタッフの皆さんの御活躍をお祈りいたします。今後も是非様々な素晴らしいホームページを紹介して行ってください。
(旧ソ連抑留画集HP管理者 木内正人)
福岡からです。藤岡先生に代わって、代筆で打ってます。「藤岡です。今、本の表紙の会議中です。7月30日に出来上がる予定です。絵を、どうもありがとうございました。出来上がりましたら、お送り致します。」
(kaze http://www.munakata.ne.jp/~kaze/ 1998年7月11日)
同じ抑留された戦友が全国にいて元気な便りが来ますが毎年減って行くのは残念です。70代後半になるとしかたないと思います。現在は記憶のある限り軍隊生活の絵を描いています。本が出来上がるのを楽しみしています。
(信夫)
とても興味深く拝見いたしました。母にもこれから見せてみるつもりです。
抑留者であった父は一昨年、75歳で他界しました。私は、父が相当歳とってからの最初の子供なんですが、それも一番最後の帰国者だったからのようです。先日仕事で、舞鶴に行く機会がありました。生前、帰国は舞鶴に着き、しらみ駆除のDDTを全身にかけられた
というようなことを話していたのを思い出し、ほとんど語ることの無かった、父の抑留生活に思いを馳せました。私自身、人付き合いが苦手な人間であることから、推測する父の集団生活の苦しさ思うと胸が詰まる思いです。具体的な父の行動の軌跡を時間が掛かっても追ってみたいと思っているのですが、何か手段が有りますでしょうか。勝手なお願いですが、お教えいただけるようなことがありましたら、ご連絡のほどお願い申しあげます。
(森 仁 1998年7月1日)
大正10年〜13年生まれの男は少々痛くても口に出さない人間に教育されました。あなたの父上もきっとその一人だと思います。ご苦労なされたと思います。さて、お父上の行動ですが、復員が早ければ最後に在隊していた部隊と共に帰ったと思いますが、そうでない隊は先ず体の弱い兵が先に帰還され、強い兵はだんだん後に残されて、他の部隊の強い兵達と合わせ又合わせして、帰還する頃には同じ部隊の兵はとても少なくなります。そこで、昭和何年の何月何日に舞鶴へ帰ったかを知っていたら厚生省に聞いて下さい。そして最後まで同じ部隊の人が居るかを調べて見て下さい(手間がかかると思います)。もし同じ部隊の人が居たら、その人に直接お聞きするのが良いと思います。
(信夫)
I am very happy to see that the Japanese are now opening their eyes
realizing that Japanese themselves were victoms too. What the Soviet government did
to Japan was completely illegal. Your homepage just grabbed my heart. I really
thank you for showing me this excelent homepage.Watashi wa honnto ni kandou shimashita. Nippon-jin ga dai niji sekai taisen de tada
no kagaisha ja nakute higaisha demo atta ko to wo kigatsuite ureshiidesu. Soren ga shita
koto wa kanzen no ruuru ihandesu. Anata no homepage wa watashi no kokoro wo
ubaimashita. Honto ni konna ii homepage wo misete kudasatte arigato gozaimashita.
Korekara mo gambatte kudasai.
(Daniel 1998年5月21日)
Gaikoku no wakai hito ni mite morai totemo
ureshii. Doko no kuni demo sensou wo sitai hito wa imasen. Gisei ni narunowa itsudemo
yowai hito dake desu. Kuni no shidousya wa yoku gangaete koudou shite hoshiidesu. Kaigai
kara no message honto ni arigatou gozaimasita.
(信夫 nobuo)
こんなホームページがあるとは思ってもみませんでした。ものすごい情報量ですよね! 私の祖父も、元、シベリア捕虜兵なのです。私が幼いときから、「おじいちゃんは、シベリアで捕虜だったんだよ」ということを間接的には知っていましたが、「ふ〜ん、そうなんだ」という気持ちしかありませんでした。祖父も戦争中のことはあまり話したがらなかったですし・・・。祖父が亡くなり、年々、「おじいちゃんっていったいどんな人だったんだろう?」と、祖父の人格、また、その人生に深く興味を持つようになりました。また、語学を学ぶ私にとって、言語をはじめ、海外の文化や歴史を知るということは、とても重要であり、必要でもあるのです。そういったことから、私は戦争中の、「シベリア捕虜」というものに非常に興味があるのです。戦争中のことについては、まだ勉強しはじめたばかりなので、まだまだ知識不足です。こちらのホームページを通じて、もっともっといろいろなことを知ろうと思います!!
(芝崎 1998年5月21日)
私の75年の中のたった4年ですが、何故か昨日のことのようにはっきり覚えています。信用されたカピタン・パクロスキー(ロシア人)、チェコ人のビラシュキ、ポーランド人のバーマン大尉、それにロシア人のガラジョ軍曹とモロージアとその奥さん等々まだ沢山の人々、カタコトながら話し合って楽しかった。少し変わっていたのはゲルマン(ドイツ人)とヤポンスキー(日本人)。敵も味方も世界中良い人達ばかり。私達生き残りが4・5人集まると1日中話しても尽きません。でもあなたは若いけど話し合えそうですね。
(信夫)
私も抑留されてあのシベリヤに3年、昔の事が目に浮かびます、あなた様のホームベージを見昔の苦労を思い又懐かしんでいます、ロシアの女医、ゲルマン、マジャール等の兵隊今どうしているか?。今の若い人たちに視て貰い戦争の疎かと悲しみ・さをもっと伝えて下さい。
(いちろー 1998年4月23日)
せっかく無事に還ってきたのだから、長生きして微力ながら少しでも世の為になる事を、先ず身近より始めたいと思って居ります。あなた様もくれぐれもお大切になされて下さい。
(信夫)