皆様からのメッセージ・2
突然のメールで失礼します。ソフトバンク株式会社
Yahoo! Internet Guide 編集部の吉田と申します。こちらのホームページを拝見し、ぜひ弊誌で紹介させて
頂きたいと思い、ご連絡しました。木内さんのご挨拶にありますように、人間のあたたかさ
が伝わってくる作品だと思いました。それと同時に、歴史
を伝える作品としても貴重だと思います。 弊誌に掲載させていただくことで、より多くの人に
伝えられればと思っております。ご了承いただければ幸い
に存じます。蛇足ですが、木内(正人)さんの作品も非常に素晴らし
いですね。これからの作品も楽しみにしています。
(吉田 恭子 1997年 9月11日)
ありがとうございます。父もYahoo! Internet
Guideに載せて頂けることを大変喜んでおります。父と二人三脚で始めたものですが、たったわずかな人間の力でも戦争のない明るい未来のために何か残せるのではと思い、このホームページを開設しました。吉田様をはじめ、たくさんの方々からの激励のメッセージによって、父の描いた絵が無駄ではなかったことを、あらためて皆さまから教えていただきました。また、インターネットは個人の言葉や生き方を、より多くの人の心に伝えることができる素晴らしい手段だと実感できました。編集部の皆さまのご活躍をお祈りいたします。
(「旧ソ連抑留画集」HP管理者 木内正人)
僕も北柏に住んでいるのですごく身近に思います。素晴らしい色合いに満ちたみずみずしい作品ばかりで感動しています。体験に裏打ちされたリアリティに圧倒されました。僕たち20代が知りたかったのは戦争がいいか悪いかということよりも,むしろそこで何があったのかという“事実”です。
(関口真一郎 1997年 9月5日)
戦争はするもんじゃない。勝っても傷つき負ければもっとみじめです。しかし、どの国でも庶民は皆同じ事を思っていると言えます。本当は世界中仲良しになりたい人達ばかりなんですよ。一部の上層階級の人間がいきがって始めるのが戦争なんです。国民の事を本当に思ったら戦争はありません。
(信夫)
数年前にタイのカンチャナブリーで逆に日本人が捕虜に重労働をさせていたという場所を見てきました。二度とこのようなことが起こらない平和な世界になってほしいです。
(Yasuko 1997年 8月18日)
日本の本土にもオーストラリアの捕虜がいました。どこの国であろうと捕虜はみじめですが、それでも私自身は珍しいノコギリや大きな鎌、ローム(金棒)、それに持った事のないターチカを走らせたり、日本語では動かないロシアの馬に乗って何度も落ちたりしました。ヨーロッパの人々とも仲良くしてきました。
(信夫)
木内さんのホームページ拝見させていただきました。
全く感心いたしました。
このような形で抑留画家全名鑑を作り紹介したいと思います。
各画家からの了解と写真収集は私が担当致しますから、ぜひ
息子さんに制作をしてもらうようにお願いしてください。
先日、財団法人全抑協(衆議院議員 相沢英之会長)からも
その制作を依頼されておりますので重ねてお願いいたします。
近々、おたずねわしてご指導をお願いいたします。
(佐藤 清 1997年 8月15日)
佐藤先生、HP頑張って下さい楽しみにしております。小生も微力ながらぼつぼつと息子まかせですが作品を載せたいと思っております。
(信夫)
貴重な絵画をありがとうございました。
見ている間中涙が出て止まりませんでした。
でも、悲惨な抑留の間にもいろんな出会いや暖かい体験もたくさんされたんですね。
(水島通存 1997年 8月15日)
旧ソ連の感想ありがとう。本モノの画家ではないのであまり良い絵とは思っていません。ただ見たまま、体験したままを私なりに感じて、40年程前から画き始めたものです。当HP管理者正人(息子)が昨年10月よりHPで公開してくれましたので広く皆さんのお目にとまりびっくりしています。今は画風も少し変わり川柳一句一句に画を入れて楽しんでおります。なお、HPギャラリー北柏へもお寄りください。
(信夫)
時間を忘れて全部見させていただきました。50年くらいしかたっていないのにもう私達には遠くなってしまった戦争という事実。netというものが無ければこうした貴重な作品を目にする機会もなかったと思います。ありがとうございました。今度自分のホームページを作ったのですが、ぜひリンクさせて頂けますでしょうか..http://www.ny.airnet.ne.jp/keirem21/
です。これは仕事や楽しみでつくった画像の展示が中心のサイトでリンクも雑多なのですが、少しでも多くの方に木内さんの画集をご紹介できればと思いました。よろしくお願いいたします。もう夏ですね。どうかみなさまお体をお大切になさって下さい。
(kei akiyama 1997年 7月4日)
私自身も戦争が無ければこのような貴重な体験は無かったと思います。そして又、生きて還った運もあればこそで、不運にも日本の土を踏めなかった戦友達を思うと声がつまります。かわりに何か言ってあげたい。こんな絵で戦争を知らない若い人々に解っていただけたら幸いに思います。ご感想ありがとう。
(信夫)
5月の下旬から8日間ウクライナに行って来ました。アルチョムンスクとドゥルシコフカ市では慰霊祭を行ってきました。まだ当時の建物も残っており心に残る旅でした。チェルノブイリ事故の被曝した子どもたちもお見舞いできました。今後もウクライナとの友好関係を推進したいと思っています。
(松岡 彰 1997年 6月28日)
遠い旅ご苦労様でした。凍土に眠る戦友諸君もきっと嬉しかったと思います。ウクライナ人は親日派の方が多かったので友好関係はスムーズにいくと思います。ご報告ありがとうどざいます。
(信夫)