皆様からのメッセージ・1


 偶然、旧ソ連と三合里の文字に誘われて当時の状況を思い出しました。弥ろく堂から三合里に移動して生活したものです。シベリヤ行きからはしませんでしたが、21年12月末までの抑留生活が見事な絵で昨日のように浮び出ます。とくに10月の逃亡兵銃殺ですが、処刑前夜、半地下の三角営倉で一緒に寝ました。2.25坪の狭いところに逃亡をさせたというので小生はじめ11人の前科者が入っているところに彼らも入ってきたのです。松葉のように足と足を伸ばしても13人は寝れません。彼らは真ん中に寝て「構いませんから自分たちの上に足をのせてください」といいました。「悪いな」と。翌朝、食事を分けてやっているところに「ダワイダワイ」で引き出され、まもなく乾いたマンドリンの銃声でした。一同合掌して冥福を祈りました。戦争の傷痕は忘れることができませんが、あの当時は国のため青春も命も犠牲にして戦わなければならなかったのです。まさに護国の神になったのです。戦争は悪だというだけで、犠牲になった若者たちの尊い使命感は今の若い人たちにぜひ理解してもらいたと思います。またおりをみてお便りします。会社定年後、自営業で今も現役、パソコンもやっている76才の青年です。 ますますのご健勝を願っています。立派な絵とご紹介ありがとうございました。
(船越源一 1997年 6月1日)

 たいへん素晴らしいホームページを見せていただいて感激しています。実は、私の父も自由にものも言えなくなってきた日本をはなれ旧満州で林業に携わり、その後、召集そしてシベリア抑留ときびしい人生を送ってきたようです。父は、戦争のことについて多くを語ってくれた訳ではないのですが、その生き方から戦争の愚かさ、人を大切にすること等を私は学びました。僅かながらボランティアをさせていただいている私と妻は、最近そのホームページhttp://www.enjoy.ne.jp/~himeno/も開きました。そこで、もし、お許しをいただけるなら貴ページとリンクさせていただければと思っています。なにとぞ、よろしくお願いいたします。
(姫野 敬 1997年 5月24日)

 はじめまして私はチンギスハーン(モンゴル)関係の蒼き狼HPhttp://www.alphatec.or.jp/~yukitosi/を主催している藤田というものです。ヤフーを検索していてあなたのHPにたどりつきました。よろしければ私のHPからあなたのHPへのリンクをお許しいただけないでしょうかお願いします。
(藤田 1997年 5月23日)

 早速メッセージを掲載していただき有り難うございました。この抑留画集は、白黒で印刷したものを見たことがありましたが、戦争を知らない我々の世代にも当時の様子が手に取る用に判りほんとに歴史的価値の高い作品と思います。これがインターネットで世界に発信されていることに敬意を表します。墓参に結果についてはまた、報告いたします。ちなみに、私の父のグループは朝鮮軍教育隊昭和20年7月入隊の秋乙会といいます。
(松岡 彰 1997年 5月4日)

 私の父はウクライナに抑留されていました。なんとか墓参をしたいと願っていましたが今月5月28日よりオーストリア経由でキエフ、ハリコフ、アルチョムンスク、ドニエプロペトロフスク等を8人のグループで墓参することに成りました。関心のある方はご連絡ください。まだ参加可能です。私も、整形外科医師ですのでこの墓参団の健康管理のため同行します。
(松岡 彰 matuoka@mxn.meshnet.or.jp 1997年 5月3日)

 オーバーな表現かもしれませんが、映画を観ているようでした。それに文体が心を引き付けました。特にロシア女性兵の存在と絶対に生き延びなくてはならないという気迫が印象的でした。
(大山 幹典 1997年 4月18日)

 感動いたしました。便所の落書きと嘲られることの多い、インターネットで、このようなすばらしいホームページがあるとは思いませんでした。画像はすべてダウンロードいたしました。大切な宝といたします。父は海軍軍人でしたが、陸軍と違い海軍兵のほとんどは志願兵です。やはり捕虜となり、戦後は第二復員省の引揚船の船員をしておりました。よく「陸さんは、インターナショナルを歌いながら、舞鶴に敵前上陸したんだ。」と話してくれました。戦後半世紀、当時を知る人も少なくなり、事実がわからなくなると、おかしな言説が登場します。作者の方がちょうど、私の父と同じご年令と知り、 大正生まれの運の悪さを嘆かざるを得ません。 これからもますますのご活躍をお祈り申し上げます。
(久保 親弘 1997年 4月18日)

 私は、現在高校に通う16才のものです。たまたま検索サイトで見つけ全部見せてもらいました。本当に、すごいなぁ。といろんな感情でいっぱいになりました。私はもちろん戦争は体験してませんし、最近はあまり話を聞いたりする機会も少なく本などの知識が主ですが、やはり絵でみるというのはすごくわかりやすく本などではいまいち伝わりにくい部分も素直に伝わるのではないかと思います。プロフィールの写真も、白黒と違って、色がつくこことによって、なんだかすごく身近に感じられ、おもわずジィーっとみいって、いろいろ当時の様子を想像してみたりしました。私たちの教科書にはこんなことがあったこと、載っていなかったように思います。実際こういうことがあったことを私ははじめてしりました。ありがとうございました。すごくいいホームページだと思います。もっとたくさんの人にみてもらいたいです。
(冨永麻利亜 1997年 4月13日)

 私の父も旧ソ連地域(ウズベク共和国)の抑留者です。子供の頃から抑留時代のことはよく聞かされておりましたが、絵画として拝見すると、改めて皆様のご苦労が偲ばれます。現在、私は京都に住んでおり、父は山口県におりますので、今度帰省した際にはノートパソコンを持ち帰って、父にも貴ホームページを見せてやりたいと思います。おかげさまで父も健在で、定年後に始めた趣味の絵描きをやっておりますが、ときどきカゼなどをひいて体調が悪いときには、決まって抑留時代の夢を見る、といつも言っております。特に「集合に遅れて帰国できなくなる」という夢が多いと言っています。また、舞鶴に帰国した際に「チリ紙」をもらったのが何よりうれしかったとも言っております。このようなことは、経験した人でないと実感できないことであろうと思います。私自身は父から直接話を聞くことが出来ましたので少しはその気持ちも理解できるような気がしますが、孫の代から後に話を伝えるというのはなかなか難しいようです。木内様がお描きになった絵は、ぜひ末永く伝えていただきたいと思います。貴重な資料をありがとうございました。
(有田貴弘 1997年 2月18日)


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