HP「旧ソ連抑留画集」ロシア語化プロジェクトについて
このたび、ロシア連邦の「モスクワ・ミルビス日本センター」にて日本語を学ぶ学生さんたちのボランティアによるご協力によって、HP「旧ソ連抑留画集」のロシア語化プロジェクトがスタートし、ついにロシア語版「旧ソ連抑留画集」が完成しました。
父の作品がインターネットによって国境を越え、海と地平線の彼方にいるモスクワの若い学生さんたちの手によって翻訳作業が行われました。まさに何にも喩えようの無い感動です。「世界は友達だ」。父がイラストに込めたメッセージは、こうした心優しい人々の手により、時空を越えて語り継がれてゆくのかも知れません。
地球上では今もなお争いが絶えません。しかし、モスクワの学生さんたちのように、温かな心で未来を見つめていれば、きっといつの日か私たちのまわりに平和な世界が築かれて行くと信じています。ロシア語化プロジェクト・リーダーの鈴木先生、そして翻訳して下さっているロシアの皆様にこの場を借りて心からお礼申し上げます。平成16年12月26日 「旧ソ連抑留画集」HP管理者 木内正人
日本の文化に憧れ、七年前に日本へ留学しました。東京中央日本語学院で一年間勉強した後、東急奨学金をもらって芝浦工業大学大学院に入学しました。そこで私は、勉学に励む傍ら、空手の練習に熱中するというとても充実した大学院生活を送りました。結婚してロシアに帰ってきた現在は、主婦をしながらモスクワ・エネルギー大学の博士課程に所属し、昼間は博士論文を書きつつ、夜は空手を教えるという日々を過ごしております。 日本語を忘れないようにと、ミルビス日本センターの専門コースに入り、そこで鈴木先生を通してこの素晴らしいサイト『旧ソ連抑留画集』に出会いました。生き生きとした木内信夫さんのイラストを通して考える戦争と平和。大変価値のあるサイトだと思います。私の母方、父方の祖父は無事戦場から戻りましたが、彼らの家族は戦時中に亡くなりました。小さい頃から私も沢山戦争の話を聞いておりますので、戦争の問題には無関心ではいられません。 楽譜を見ながら一生懸命日本の曲を演奏しているドイツのオーケストラ、妊娠して泣いているナターシャの姿など、イラストの絵が強烈に脳裏に焼きついています。 |
私は日本語通訳・ガイドの仕事をしています。今はモスクワにありますミルビス日本センターの日本語専門コースに通っています。このコースの先生のおかげで『旧ソ連抑留画集』というホームページを知りました。私はコンピュータを持っておりませんので、日本センターのコンピュータで『旧ソ連抑留画集』を見ました。そして深く感動しました。 木内さんの心温まるイラストを見ていたら、ガイドの仕事中に出会ったある年配の日本人観光客のことを思い出しました。その男性は、捕虜として何年もの間シベリアで強制労働をさせられていた体験について話してくれました。しかし、私が驚いたのは彼が過酷な労働や厳しい気候などについて文句を言うのではなく、まるでシベリアが自分の故郷の一部であるかのような懐かしさを込めて、温かく語っていたことです。「さぞかし酷い状況だったのではありませんか」と尋ねると、その男性は、辛い時に助けてくれた一般のロシア人の優しさについて感謝の念を込めて触れました。そして今でも覚えている幾つかのロシア語の単語を、何回も、何回も繰り返し口にしたのです。それは必ずしも「正しい」ロシア語ではありませんでしたが、私には勿論直すことなど出来ませんでした。戦争が終わってから50年も経ったのですもの・・・。 かつては敵国であった国の悪い事をすべて忘れ、不本意ながら身につけさせられた敵国の言葉を、温かい思い込めて語る・・・。何てすごいんだろう!と、私は目頭が熱くなりました。 木内信夫さんのホームページに触れた時も、これと同じ感銘を受けました。 |
私は、ロシアのモスクワに住んでいる「日本大好き人間」です。言葉を始めとして、日本の料理や習慣などに大変興味があります。モスクワ大学日本語学科を出て、日本で勉強を続けました。名前はロシア語だととても長くなってしまいますので、日本人の友達にごく簡単に呼ばれているように、「リューダ」とだけ記しておきます。 この、第二次世界大戦を主題にした木内信夫さんのサイト『旧ソ連抑留画集』のロシア語訳の作業に、喜んで参加しました。日本人には勿論のこと、ロシア人にもこのサイトを読んで欲しいと思ったからです。 「敵」として認識されていた日本兵の目から見た、言ってみれば「逆側」から見た旧ソ連の歴史のひとこま、戦争。このサイトはそれをもう一度しっかりと正面から捉え、考えさせる大切な役割を果たすサイトです。そしてこのサイトの翻訳をお手伝いすることが、時間の厚みの中で、実に色々なことがあったロシアと日本という、国と国の関係を改善する原動力につながっていくのではないかと信じています。 |
日本の皆様!こんにちは!遥か彼方、ロシアからお便りしています。このホームページ『旧ソ連抑留画集』の一部を翻訳させていただいたグシナ・ラーダです。よろしくお願いします。 まずは自己紹介から入りたいと思います。 私は和露、露和の通訳です。昔から東洋文化に興味があったため、日本語を勉強し始めました。日本語はとてもきれいで魅力のある言葉だと思います。その日本語を勉強することが、私の趣味です。 第二次世界大戦はロシアと日本の両国にとって、実に悲しいテーマです。その凄まじい戦いで亡くなった人の親戚や友達といった人々の心の中には、今でも痛みと非難を含んだ深い傷跡が残っています。金輪際二度と再びそんな恐ろしい事が起こってはいけないと思います。ですから、私はこの『旧ソ連抑留画集』を覆いつくす平和のメッセージが、ロシアと日本の両国民にとってとても大事なものだと思います。このサイトは、私達の思いを受け止め、ロシアと日本の両国民の相互理解を深めるために一役買ってくれるのではないかと信じています。 今ロシアでは、特にモスクワとサンクト・ペテルブルクにおいて日本のものが流行っています。日本料理の店は驚くべき勢いで日々増える一方です。ロシア人は日本人と善隣関係を築こうと願っています。日本の皆様も、ロシアに対して同じ気持ちを抱いて下さっているのではないかと期待しております。 「近くて遠い国」ロシアに、皆様、是非一度お越し下さい。木内信夫さんの『旧ソ連抑留画集』の雪景色の向こうには、今の、純白に染まったクレムリンや赤の広場の荘厳な姿があります。 |
ゴヴォローフ・アンドレイと申します。始めまして!在モスクワ日本大使館に勤めております。 専門は、歴史学です。大学院在学中は、日本国憲法制度を研究していました。 というわけで、日本の歴史に一方ならぬ興味を持っておりますので、『旧ソ連抑留画集』の翻訳作業は、実に面白かったです。それに歴史だけではなく、村上春樹の短編小説を翻訳することが私の趣味でありますので、翻訳作業もとても面白かったです。また逆に、村上春樹の翻訳作業がこのサイトの翻訳作業に役に立ってくれたと信じています。 戦争ほど悲惨なものはありません。新たな戦争をしないように現代の人類は過去の戦争についての正しい事実を把握する必要があります。木内信夫さんが克明にイラストに描いた『旧ソ連抑留画集』のおかげで、私達は微妙な歴史の一頁に触れることができます。ここに描かれている情報は、歴史の教科書に提示されている情報に比べて遥かに価値あるものです。 第二次世界大戦、ロシアではこれを祖国戦争と呼び、日本では太平洋戦争と呼んでいますが、この戦争はロシア人と日本人の間に大きな境界線を引いたと思います。でもこれからは、ロシアと日本はその境界線を乗り越え、どんどん近づいていく時代が訪れると思います。 こうした時代において、木内信夫さんの、優しさに満ちたイラストによって構成されているサイトは、露日相互理解のために無くてはならない大切な指標になるに違いありません。皆さん、このサイトを一緒に見ましょう! |
日本語を勉強し始めて5年目というモスクワ大学の学生デニスです。実は専門は経済なのですが、『旧ソ連抑留画集』というこのサイトをロシア語訳する計画を聞いた時、是非参加したいと思いました。戦争を知らない我々にとってとても役に立ち、もっと平和を守るためにはどうしたら良いか、ということを示唆するサイトをロシア語訳しようとする試みは素晴らしいことだと思います。 戦争の恐ろしさを理解しつつ、皆様と一緒にその恐ろしい戦争が再発することを防ごうと努力すること。これが、この『旧ソ連抑留画集』を翻訳した私の目的であり、夢でもあります。 一般の日本人はロシアという国をあまり想像できないと思いますが、私の国ロシアは、第二次世界大戦の頃から大幅に変わりました。現在のロシアには、私のように日本に興味を持っている人が沢山います。そして皆一様に、日本とロシアとの間に温かい協調関係が築かれることを望んでいます。 ロシアと日本は「友達」です!そう信じている皆様、一緒に歩んでいきましょう!!! |
チスレンコ・アナスタシア。1974年、ロシアのレニングラド(現サンクト・ペテルブルグ市)生まれ。現在通訳、翻訳の仕事をしています。小さい時から、勉強が大好きな子供でした。学校でみんなが嫌いだった英語でも、無理なく楽しく習いました。人と人の縁は言葉から始まると信じていたからです。高校卒業後、父が出たモスクワ大学に挑戦しましたが上手くいきませんでした。家に戻って、ペテルブルグにあるカレッジに入学しましたが、1年でやめます。「何だか違う」と思ったからです。 やはり、人間にかかわりがあることがしたい!世界の遠いところの人々はどういう風に生きているのか気になってしょうがなかったのです。ソ連時代に冷戦によって翻弄されていた日本とロシアの間には物理的・心情的に距離がありました。そして日本の情報はほとんど入って来ませんでした。そのことが一層わたしの興味をかりたてました。日本人の友達も出来て、言葉も習いはじめました。更には留学することもできました。 ロシアに戻ってから、日本語の勉強を続けるためにミルビスという日本センターに入学し、木内さんの作品"旧ソ連抑留画集"の翻訳のプロジェクトに参加しました。その作品はすべて捕虜収容所での生活を舞台にしています。苛酷な環境にいるにかかわらず、優しい心を持ち続けている人々の姿。本来であれば兵士から子供にいたるまで、あらゆるロシア人が嫌いになっても不思議ではないのに、イラストからはそうした怒りや憎悪は感じられないことに、わたしは驚かされました。その気持ちを恩返ししたいです。実に素晴らしい画集です。 皆さん、ぜひ、ヨーロッパ旅行のついでにロシアも訪れてください。そしてその際ペテルブルグに立ち寄ることもお忘れなく! |
皆様、今日は。私はレーナと申します。始めまして。私は3年前にモスクワ国立言語大学を卒業しました。 大学在学中、日本へ行ったことがなかったので日本の文化、歴史や現実的なな問題に触れるチャンスはありませんでした。 しかし、大学卒業後モスクワにあります日本大使館で、最初は電話交換手として、そしてその後は政務班の秘書として働き始め、様々な日本の問題が自分にとってより身近な問題になりました。その過程の中で、日本の旧ソ連抑留者という問題にも接することになりました。 第二次世界大戦後、多くの日本人が旧ソ連の収容所に抑留され、亡くなりました。抑留者の問題は今日に至るまで日露の間に存在する国際外交・政治上の重要な問題のひとつです。 しかし、普通の人にとってそれは政治的な問題などではなく、もっともっとずっと人間的な問題であると思います。戦争の苦しさ、ロシア人・日本人といった国籍を超えた人間と人間のつながりそのもの・・・。 木内さんの『旧ソ連抑留画集』は、素敵なイラストとともに、戦争を見たことのない人のためにその時の現実を克明に反映しています。私もこのサイトの翻訳に参加することにより、多大な喜びを得るとともに、新たな日本語の知識も沢山得ることができました。 この、価値のある素敵なサイトを作って下さいました木内さんに、心から「ありがとう!スパシーボ!」と言いたいです。 |
ミレーナ
アリョーナ
鈴木先生