引き揚げの地“舞鶴市”


引き揚げとは…

 昭和20年第2次世界大戦が終わった時、海外に残された日本人は600万人以上といわれ、これらの人々は短期間にしかも一斉に帰国しなければならなくなりました。これを“引き揚げ”といいます。
 昭和20年9月、舞鶴、浦賀、呉など全国で10港が引揚港に指定され、帰国者の受け入れを開始しました。

第2次世界大戦終結後、京都府舞鶴市は海外に残された日本人を迎え入れる玄関でした。昭和20年10月7日引揚船、「雲仙丸」が入港して以来、13年間の長きにわたり、私を含め約66万人の引揚者と1万6千柱の遺骨を迎え入れてくれました。「引揚記念公園」内にある「引揚記念館」には当時をものがたる数多の貴重な資料が展示されています。

「引揚記念公園」と「平引揚桟橋」

舞鶴引揚記念館


五老ケ岳公園から眺めた舞鶴港


平成25年2月9日撮影


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