HP「旧ソ連抑留画集」イタリア語版について
このたび、イタリア・ローマ在住の梶原様ご家族によって、「旧ソ連抑留画集」のイタリア語語版が完成しました。日本人である奥様は、お父様が連合軍の捕虜という似たような境遇にあり、また国際結婚という高い世界観から「旧ソ連抑留画集」の歴史的価値を見出して下さいました。そして、ご家族のボランティアによってイタリア語に翻訳して下さいました。
イタリアも第2次大戦ではヨーロッパの傷ついた国のひとつ。そして日本と同じく、戦時中は恐怖政治によって国民が苦しめられました。幸せを願う気持ちに国境はありません。そんな願いを梶原様ご家族の優しさによってイタリアから発信して下さったことを本当に感謝いたします。ありがとうございました。平成19年9月1日 「旧ソ連抑留画集」HP管理者 木内正人
こんにちは、僕の名前はジャコモサトル・クインティーリ梶原聡です。此の度、お母さんとお兄さんと一緒にこのサイトを日本語からイタリア語に翻訳しました。僕は1993年生まれ、もう直ぐ14歳になります。僕は日本語をよく知らないため、翻訳はとても難しかったです。このサイトのお話は作者御本人が収容所で体験された、とても辛くて悲しい出来事の数々です。しかし、空腹、寒さ、疲労など、あらゆる困難の後、幸いにも無事、祖国へ帰られる事が出来ました。 |
こんにちは、僕はエマヌエレ・クインティーリ梶原雪夫、17歳です。僕も家族と共に木内信夫氏の御文章を翻訳しました。これらの翻訳はとても困難でしたが、誠実で陽気なお人柄の木内氏が描かれたイラストを通じ、戦後に於ける様々な事実を詳しく理解する事が出来ました。このサイトの各ページには、弟も触れておりますとおり、戦後、木内氏が受けられた数々の苦難が、あれほど辛いものであったにもかかわらず、それらの出来事を実にユーモラスに表現しておられ、そして最終的には無事帰還を果たされたことへの喜びで締めくくられてます。しかし、それらの作品の全てには、作者の受けられた体験を世に伝えるべく望み、そして、人々がその史実を忘れる事のないようにとの強い願望が込められています。旧ソ連抑留という出来事は、一見気何気なく見過してしまわれそうな歴史の一コマながら、実は非常にユニバーサルな、しかも計り知れないほどの貴重な史実です。 |
此の度イタリア語への翻訳を担当させていただいた梶原範恵です。1989年よりローマに在住し、現在イタリア人の主人と二人の息子の4人で暮らしております。 |
★イタリア語版翻訳者の御一家を訪ねて 平成20年12月22日