南朝と北朝が違うのを実感した。ピストルの前で厳しい尋問を受けたが「東洋平和の為に死ぬなら本望」と云い切って(当時の若者はそのように教育されてました)、臆せぬ小生に係官は苦笑いし、とうとう引き金は引かなかった。(昭和20年)