奈良の旅 (主人と二人旅) 平成5年3月8〜9日


東京発 7:00 ― 9:37 京都着
京都発 9:44 ― 10:29 奈良着

猿沢の池

奈良は中学の修学旅行以来二度目、主人は始めてとか池の周りに家が建ち並んでいるので池らしくなかった。興福寺 ― 藤原氏の氏寺、治承4年(1180年)平シゲヒラの焼討 ち以来創建当時の姿はないがそれでもかなりの物が残って いる。五重塔、三重塔、東金堂、北円堂、南円堂(西国33カ所第9番札所)、中金堂、などがある。

奈良公園

鹿の離しがえで写真を撮りながら、鹿苑を通り抜けた。春日大社― 杉木立と石灯籠に囲まれて一の鳥居から長い参道を歩いて 行く。参道には石灯籠は約1800基、社殿回廊には釣灯 籠は1000基もあるらしいが中庭には入れなかった。 ( 結婚式の記念写真にぶつかった。)

春日若宮神社

本殿祭神の御子をまつる摂社。( 歴史の道を通り、若草山を右に見て三月堂へ抜ける。) 手向山八幡宮―東大寺守護のため祭られた社。三月堂のすぐ南。

三月堂

正式の名は法華堂、三つ目の仏さま、高さ3・6メートルもある天平仏などある。(今度の機会に行くことにする)

二月堂

お水取りで知られる堂、山を背負った舞台造りで回廊から 見る大仏殿や市街の展望は奈良でもっとも情緒ある風景の一つとされている。(一月堂、四月堂、正倉院は行かない)

東大寺

聖武天皇の寺、奈良時代全国におかれた国分寺の総本 山として健立、大仏開眼は天平勝宝4年(752年)現存の建物は大仏殿をはじめとして、江戸時代の再建が多い。

(奈良駅を10:45分歩き初めて猿沢池から東大寺まで歩き続けて、 4時間かかった。多分忘れることはないと思う。主人と一緒の旅はかな らずお天気が良くない。東大寺では雪がちらついて寒かった。これから近鉄線に乗り、大和西大寺駅で降りる。今日の宿は かんぽ奈良)

西大寺

東大寺に対する西の大の寺風格を感じる。本堂は総板張り の珍しい造り、本堂の中には金ぴかの釣灯籠が並び何とも いえないすばらしさを感じた。

(奈良かんぽに到着 新しいらしく部屋も大きく綺麗。食事は会席料理、 朝の食事はバイキング今までの宿に比べると一番良かった。宿の前は平城宮跡、朝9:30分に出発。)

平城宮跡

奈良7代70余年の帝都平城京の中心部、都の中央北部を 占めている。甲子園の約30倍もある。

唐招提寺

開山鑑真和上〈がんじんわじょう〉は唐の人。聖武天皇に 招かれて来日、東大寺に戒壇を設けて、初めて受戒を行っ た。天平勝宝6年(754年)のことである。弟子たちの学問所として建てられたのが唐招提寺である。

薬師寺

天武天皇が皇后のちの持統天皇の病気全快を祈って飛鳥に 創建。東西両塔を持つ、薬師三尊、聖観音はみごとである (此所までは宿から歩いてきた。法隆寺にはバスに乗る。法隆寺の門前まで行くのに松林が両側に200メートルも続いている。)

法隆寺

推古天皇15年(607年)聖徳太子の創建という。夢殿 のある東院は聖徳太子斑鳩宮〈いかるがのみや〉跡、現在 の建物は天平時代のもの。(南大門・中門・金堂・五重塔 百済観音・救世観音・東院・夢殿など)

(山門前の店で、ぜんざいを食べ奈良を後にして京都に向かう。新幹線の時間があるので京都で下車。)

東本願寺

慶長7年(1602年)徳川家康が本願寺の勢力分割をは かり、六条烏丸に建てたもの。本尊は阿弥陀如来(大谷派) 大師堂など巨大な伽濫が並ぶがいずれも明治28年(18 95年)の再建。大師堂建築のさい、巨木を引くために全国の女性信徒寄進の毛髪を編んだ毛綱が珍しい。

西本願寺

天正19年(1591年)豊臣秀吉が六条堀川に寺地を与 えて建てさせた。殆どの建物が国宝重要文化財である。境 内南端の唐門は伏見城遺構と伝える四脚門、別名 日暮門。

東寺

延暦13年(794年)桓武天皇の平安朱雀大路の東西に建立した官寺の一つ。五重塔は境内東南の隅にあり、高さ57メートル、本瓦葺きで木造ではわが国最高最大の塔。 正保元年(1644年)徳川家光が古制どうり再建。心柱 は初層まで通じている。

京都発 18:24 ― 21:04 東京着
(上野駅で構内にある 喫茶ハローでラーメンを食べて帰る)

(今回の旅行は時間がたっぷりあったので良かった。ただお天気が曇り、 それに三寒四温にぶつかり寒かった。両本願寺の御朱印がもらえないの が残念である。今度は比叡山を予定、正人も行くとのこと。)