昭和16年(1941年)の出来事
| 1941/01/06 | ルーズベルトが「4つの自由」の演説を行う。 | 
| 1941/01/07 | 安徽省南部を移動中の共産党指導下の新四(しんし)軍約1万人に、国民党軍の部隊約8万人が突如攻撃を開始する(皖南事件)。 | 
| 1941/01/08 | 東条英機陸軍相が、「生きて虜囚の辱めを受けず」を含む「戦陣訓」を全軍に通達する。 | 
| 1941/01/30 | 日本の調停により、タイ仏印停戦協定が調印される。 | 
| 1941/02/01 | ブルガリアが、ドイツ軍がブルガリア領内を通過することを認める協定をドイツと締結する。 | 
| 1941/02/03 | 対独伊ソ交渉案要綱が決定される。 | 
| 1941/02/11 | 野村吉三郎が駐米大使としてワシントンに着任し、日米交渉が本格化する。 | 
| 1941/02/11 | |
| 1941/02/12 | ドイツのロンメル将軍が、イタリア軍支援のためリビアのトリポリに到着する。 | 
| 1941/02/17 | ブルガリアがドイツの圧力のもとでトルコと不可侵条約を結ぶ。 | 
| 1941/02/26 | 和歌山市と近郊の中等学校長会議が、生徒の夏休みは有害無益として全廃を決定する。 | 
| 1941/03/02 | ドイツ軍がブルガリアに侵入する。 | 
| 1941/03/08 | 野村駐米大使、ハル国務長官の第1回の会談が行なわれる。 | 
| 1941/03/12 | 松岡外相が、ソ連経由で独伊訪問に出発する。 | 
| 1941/03/23 | 松岡外相が、スタインハート駐ソ米大使と会談する。 | 
| 1941/03/25 | ユーゴスラビアが、日独伊三国枢軸同盟に参加する。 | 
| 1941/04/01 | 国民学校令により、全国の小学校が国民学校と改称される。 | 
| 1941/04/03 | リビアのイギリス軍が、ドイツのロンメル将軍の戦略部隊に攻撃されてベンガジを放棄する。 | 
| 1941/04/05 | ユーゴ・ソ連不可侵条約が締結される。 | 
| 1941/04/06 | ドイツ軍がユーゴ、ギリシアに侵入する。 | 
| 1941/04/13 | モスクワで日ソ中立条約が調印される。 | 
| 1941/04/16 | ワシントン、ハル国務長官が野村駐米大使に、民間私案の日米諒解案を交渉の基礎として提案する。日米交渉が正式に開始される。 | 
| 1941/05/10 | ヒトラーの片腕と言われていた副総統ルドルフ・ヘスがメッサー・シュミット110Dでアウグスブルクを飛び立ち、スコットランドにパラシュートで降下する。 | 
| 1941/05/15 | フランスでレジスタンス国民解放戦線が結成される。 | 
| 1941/05/17 | 阿部定が、恩赦で栃木刑務所を出所する。 | 
| 1941/05/19 | ホー・チ・ミンらがベトナム独立同盟(ベトミン)を結成する。 | 
| 1941/05/20 | ドイツ軍がクレタ島を攻撃する。 | 
| 1941/05/20 | 東京港が、外国貿易港として開港指定される。 | 
| 1941/05/27 | ドイツ主力艦ビスマルクがイギリス軍に撃沈される。 | 
| 1941/05/27 | ルーズベルト大統領が、国家非常事態・臨戦体制を宣言する。 | 
| 1941/06/01 | ゾルゲがドイツのソ連攻撃が6月15日であると打電する。 | 
| 1941/06/08 | イギリス軍がシリアに入る。 | 
| 1941/06/14 | ルーズベルト大統領が、独伊の在米資産凍結を命令する。 | 
| 1941/06/21 | ハル国務長官が野村駐米大使に、5月31日の米側「中間案」の修正と松岡外相を非難するオーラルステートメントを渡す。 | 
| 1941/06/22 | ドイツ軍がバルト海から黒海にわたる戦線で宣戦布告なしにソ連攻撃を開始する(バルバロッサ作戦)。ドイツ軍はバルト3国を占領する。独ソ戦争が始る。 | 
| 1941/06/23 | ソ連が、ゾルゲに独ソ開戦に対する日本の動向を探らせる。 | 
| 1941/06/25 | 大本営政府連絡懇談会が、南部仏印への進駐など、南方施策促進に関する件を決定する。 | 
| 1941/07/02 | 御前会議で、日本が北進か南進かが議論決定される。 | 
| 1941/07/02 | 重慶政府が、ドイツ・イタリアと国交断絶する。 | 
| 1941/07/10 | ゾルゲから、7月2日の御前会議の内容がスターリンに届き、日本が積極的にソ連には攻撃しないことが伝えられる。 | 
| 1941/07/12 | 英ソ相互援助協定が調印される。 | 
| 1941/07/14 | シリアで休戦協定が結ばれ、シリア全土がイギリスと自由フランス政府に引き渡される。 | 
| 1941/07/15 | 日米了解案をめぐり、松岡外相と近衛首相が対立する。 | 
| 1941/07/16 | 第2次近衛文麿内閣が総辞職する。対ソ政策や対米交渉問題で、閣内の意見不一致による。 | 
| 1941/07/18 | 第3次近衛文磨内閣が成立する。豊田海軍大将が外相となる。 | 
| 1941/07/21 | 日・仏印防衛協定が成立する。 | 
| 1941/07/23 | 南部仏印進駐交渉が成立する。 | 
| 1941/07/25 | アメリカ政府が、日本の南部仏印進出への報復措置として、在米日本資産の凍結令を公布する。 | 
| 1941/07/26 | イギリス政府も、日本の南部仏印への進出に対する報復として在英日本資産凍結と通商条約の破棄を通告する。 | 
| 1941/07/28 | 日本軍が南部仏印へ進駐を開始する。対米戦争への直接の原因となる。 | 
| 1941/08/01 | ルーズベルト大統領が、対日石油輸出を全面禁止とする。 | 
| 1941/08/02 | アメリカが、ソ連へ計107億ドルの武器・経済援助を決定する。 | 
| 1941/08/14 | ルーズベルトとチャーチルが、米英共同宣言の大西洋憲章を発表する。国連成立のきっかけ。 | 
| 1941/08/16 | 映画の国家管理が決定され、製作中の娯楽映画が製作中止になる。 | 
| 1941/08/17 | 野村駐米大使とルーズベルト大統領の会談が行なわれる。 | 
| 1941/08/18 | 豊田外相とグルー駐日米大使の会談が行なわれる。 | 
| 1941/08/25 | イギリス・ソ連両軍が、イランへの進出を開始する。 | 
| 1941/08/28 | ソ連、ヴォルガ・ドイツ人の自治共和国が取り潰され、40万人が追放される。 | 
| 1941/09/01 | ガソリンタクシーが禁止され、代燃車時代に入る。 | 
| 1941/09/01 | ドイツ領内のユダヤ人に、「ダヴィデの星」の標識を着用を義務付ける警察令が出される。 | 
| 1941/09/03 | ポーランドのアウシュヴィッツ収容所で、ユダヤ人とソ連兵捕虜の毒ガス処刑が始まる。 | 
| 1941/09/06 | 御前会議が、帝国国策遂行要綱を決定する。対米戦争突入へのシナリオができる。 | 
| 1941/09/08 | レニングラードがドイツ軍に包囲される。 | 
| 1941/09/13 | 政府・大本営連絡会議が「日・支和平基本条件」を決定する。 | 
| 1941/09/14 | ゾルゲが、日本の対ソ攻撃はないと判断する。この結果スターリンは全軍をドイツに向ける。 | 
| 1941/09/19 | ドイツ軍がキエフを陥落させる。 | 
| 1941/10/02 | ドイツ軍が、モスクワ大攻撃を開始する。 | 
| 1941/10/04 | ゾルゲが日米開戦が1941年の年末であることを報告する。 | 
| 1941/10/12 | 近衛別邸で対米和戦の会議が開かれるが、陸相の不同意で未決となる。 | 
| 1941/10/15 | ノモンハン国境協定が調印される。 | 
| 1941/10/16 | ドイツ軍がウクライナ地方のオデッサを占領する。 | 
| 1941/10/16 | 近衛内閣が総辞職する。 | 
| 1941/10/18 | ソ連籍のドイツ人でドイツの新聞社の特派員ルヒャルト・ゾルゲがスパイ容疑で逮捕される。 | 
| 1941/10/18 | 東条英機内閣が成立する。内相と陸相を首相が兼任する。 | 
| 1941/10/22 | 三笠宮崇仁親王が高木百合子と結婚する。 | 
| 1941/10/29 | ドイツ軍がクリミア半島に侵入する。 | 
| 1941/11/05 | 御前会議で、対米交渉案(甲・乙案)と、12月1日午前零時までに対米交渉成立の場合は開戦中止を決定する。 | 
| 1941/11/05 | 大本営が、対米英蘭作戦準備を命令する。 | 
| 1941/11/06 | アメリカが10億ドルの対ソ武器貸与借款を決定する。 | 
| 1941/11/07 | 野村駐米大使が、対米交渉案のうち、甲案を米側に提示する。 | 
| 1941/11/13 | アメリカ下院で中立法修正案が通過し、アメリカは実質的に中立政策を放棄する。 | 
| 1941/11/15 | 栗栖三郎特命全権大使がワシントンに着任する。 | 
| 1941/11/15 | 大本営陸軍部が、南方軍に作戦命令を下令する。 | 
| 1941/11/17 | 東条首相の施政方針演説がラジオで録音放送される(議会放送のはじめ)。 | 
| 1941/11/18 | 機動部隊旗艦「赤城」が佐伯湾を出航して艦隊の集結地択捉島単冠湾に向かう。 | 
| 1941/11/20 | 野村駐米大使、栗栖全権大使が、米側に対米交渉案の乙案を提示する。 | 
| 1941/11/22 | ワシントンで、米英蘭華会議が開催される。 | 
| 1941/11/23 | 海軍機動部隊が、真珠湾攻撃に向けて択捉島単冠湾に隠密集結する。 | 
| 1941/11/26 | ハル米国防長官が、日本側の提案を拒否し日本側の中国撤退を求める強硬な新提案(ハル・ノート)を提示する。 | 
| 1941/11/27 | 政府・大本営連絡会議が、26日の「ハル・ノート」を米側の最後通牒と結論する。 | 
| 1941/12/01 | 御前会議が対米・英・蘭との開戦を決定する。 | 
| 1941/12/05 | 野村、栗栖両大使が、日本側回答をハル国務長官に手渡す。 | 
| 1941/12/06 | 野村駐米大使宛てに、対米最終覚書が打電される。 | 
| 1941/12/07 | ホノルル時間午前6時45分(日本時間8日午前2時15分)米駆逐艦ウォードが真珠湾港外で特殊潜航艇を撃沈する。 | 
| 1941/12/08 | イギリス、アメリカが日本に宣戦布告する。 | 
| 1941/12/08 | 日本時間午前2時、日本軍がマレー半島へ上陸開始する。 | 
| 1941/12/08 | 日本時間午前3時19分(ホノルル時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ真珠湾空襲を開始する。日本時間午前4時、米英に宣戦布告の詔勅を発表し、太平洋戦争の開戦となる。 | 
| 1941/12/09 | 国民政府が、日本、ドイツ、イタリアに宣戦布告する。 | 
| 1941/12/09 | 東条英機内閣が、左翼関係者・自由主義者・人道主義者など200人余を予防拘禁・スパイ容疑などで検挙する。 | 
| 1941/12/10 | 日本軍が、マレー沖海戦でイギリスの主力艦のプリンス・オブ・ウェールズを撃沈する。 | 
| 1941/12/11 | ドイツ・イタリアがアメリカに宣戦布告する。 | 
| 1941/12/12 | ソ連軍が、モスクワに迫ってきたドイツ軍を撃退する。 | 
| 1941/12/12 | ブルガリア、ルーマニア、スロバキアがアメリカ、イギリスに宣戦布告する。 | 
| 1941/12/13 | ハンガリーが、イギリス、アメリカに宣戦布告する。 | 
| 1941/12/16 | 戦艦大和が竣工する。 | 
| 1941/12/25 | 香港のイギリス軍が日本軍に降伏する。 |