“欲しがりません、勝つまでは”こんな合い言葉で弟は小学3年生で疎開する事になる。戦争の何かを知らぬ幼児の遠足に行くような顔が、ことさらいじらしく、一生の別れになるかも知れぬ母親たちは笑顔で励ましていたが、心は泣いていたであろう。後に東京大空襲で弟の友達の中には、本当に一生のお別れになった母親もいた。(昭和18年)