学生時代は教練と寄席通いで明け暮れていた。時々学校をサボって四谷の『きよし』や人形町『末広亭』へ行き、高座のまん前に陣取って落語を聞いていた。こんなこともあった、笑いが止まらなくなって、小文治師匠に「学生さん、あんまり笑いすぎるとやりにくいんだよ」と云われ、客席全員大笑い。(昭和17年)