忠魂碑・岩槻にて
平成20年3月16日 (文/HP管理者 木内正人)
「人形の街」で知られる埼玉県さいたま市の岩槻では、3月中は“まちかど雛めぐり”が開催され、かわいい雛人形の数々が観光客を迎えてくれます。暖かい休日の20年3月16日に、両親と私管理人とで出かけました。しかし、そんな歴史ある岩槻にも幾多の暗い戦争の時代があります。左は慈恩寺境内の忠魂碑で、右は久伊豆神社境内の戦役記念碑です。
いわゆる忠魂碑、慰霊碑、凱旋碑などの多くは、日清戦争、日露戦争での戦死者の供養のために自治体で建立した慰霊碑です。こうした忠魂碑は全国各地にあり、戦前は国策により教育的な意図をもって立てられたと言われています。そのため、戦後はGHQの指示でかなりのものが撤去されたそうですが、農村部では今もその多くが残っています。
何より、戦争によって大切な家族を失うだけでなく、若い重要な働き手を奪われてしまうのですから農村部にとっては大きな痛手です。忠魂碑には特別な想いがあることでしょう。忠魂碑が建てられた目的はどんな理由があったにせよ、戦争で失われたのは人の命です。忠魂碑はその土地の戦死者の霊を慰めるものだけではなく、これからも絶対に戦争をしてはいけないという歴史の語り部としてそこにあり続けることでしょう。