沖縄戦没者慰霊の旅


写真・文 / HP管理者 木内正人

 平成16年1月17〜20日、昨年父が80歳になったのを記念し親子3人で沖縄へ旅行に行きました。久しぶりの家族旅行です。第二次大戦の生き残りである父にとっては沖縄戦没者への慰霊の旅となりました。沖縄は第二次大戦中、日本で唯一地上戦の行われた場所です。その多大な犠牲は、今となってはかつての戦場に鎮座する石碑の碑文の中にのみ記されています。“戦争の意味”今それが最も問われている時なのかも知れません。


一中健児之塔

 首里城近くにある一中健児之塔は、学業半ばにして犠牲となった職員及び生徒を供養する碑です。この場所は、昭和20年3月27日米軍を目前にして最後の卒業式が挙行され、鉄血勤皇隊が結成された地だそうです。県内の各中等学校は、昭和19年10月10日の那覇大空襲以後は、軍事教練のほかは学業は全く停止され、昭和20年3月25日ついに軍から学徒動員令が発せられたと言います。少年たちは任務に従い、砲兵隊、通信隊などに配属されました。ある者は米部隊に切り込み、またある者は爆弾を背負って戦車に突入し死んでいきました。鉄血勤皇隊での一中生徒の戦死者は210名。


白梅之塔

 白梅学徒隊を祀った碑です。記録によると、富盛の八重瀬岳の山部隊野戦病院にいた白梅学徒は6月4日の病院解散後、最後は現在碑のある国吉まで追いつめられたグループがありました。自然壕(写真右)にいた彼らは6月22日、米軍の火炎放射器での攻撃を受け、手榴弾で自決しました。当時、米軍に捕まれば若い女性は乱暴されたうえ殺されると教えられていたそうです。死しか選択の余地がない当時の悲しい歴史に、手を合わさずにはいられません。


ひめゆり之塔

 ひめゆり学徒は、沖縄師範学校女子部と第一高等女学校の生徒で構成されていたそうです。1945年5月25日に撤退命令が出た南風原陸軍病院から南下してきたひめゆり学徒は、本部、太田、第一、第二、第三の各外科壕に配属されました。6月18日ひめゆり学徒の解散命令があり、翌19日に脱出のため現在ひめゆりの塔がある第三外科壕に集合しましたが、ガス弾の攻撃により多数の死者を出しました。解散以前は軍とともに行動していたが、解散後は避難民の同じように砲撃の中を逃げ回る事になったそうです。ひめゆり学徒の死者はこの解散後に多く出たと言われています。


東京之塔

 東京都が管理する慰霊碑です。碑文にはこのように記されていました。「さきの大戦中南方諸地域において戦没せられた東京都の関係者は実に10万有余柱に及ぶ顧みればわれら同胞が戦禍に堪えて刻苦精励すること20有余年よく平和の恩恵に浴したことは、ひとえに英霊が戦火の悲惨と生命の尊厳を貴い血をもって示されたたまものにほかならない。 よって戦没者遺族をはじめ都民1,100余万こぞって慰霊の誠を捧げ平和への誓いをこめ、ここ沖縄の激戦地米須の丘に謹んで東京の塔を建立する。 み霊よ安らかに眠りたまえ。 」
 戦争がもたらすものは、遺族の悲しみしかないことを、海を見下ろす碑は静かに語りかけているようです。


健児之塔

 沖縄師範学校男子部等の生徒によって編成された鉄血勤皇隊を祀った碑です。 ひめゆり学徒と同様に、鉄血勤皇隊も13〜19の歳で法的根拠も無く動員されたそうです。鉄血勤皇隊は 1945年3月31日に編成されましたが、義勇兵役法は6月23日に発布です。 そのため、親の承諾印をもらうため一時実家に帰したそうです。戦争に出るのを反対し引き留める親もいたそうですが、戦時教育を徹底されていた当時、ほとんどの生徒が、学校に戻ってきたと言われています。鉄血勤皇隊は伝令や通信、切り込み、爆弾を背負っての特攻でした。動員数1780人のうち戦死数890人。 死亡率が50%という非情な任務です。


旧海軍司令部壕

 旧海軍司令部壕は、日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部のあった所で、司令官大田実少将ほか約4000名の将兵が、この壕で壮烈な最後を遂げた場所です。昭和20年6月13日午前1時頃のことだったそうです。司令官室の白壁には、『大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり』という大田少将の愛唱歌が当時のまま残され、壕全体が戦争末期の悲惨な歴史を伝えています。迷路のような壕内には、作戦室、発電室などが当時のまま残され、将兵が鍬やツルハシで壕を掘った跡があり、手榴弾による自決の弾痕などが実に生々しく残っています。
 
 


平和の礎(いしじ)

 満州事変から沖縄戦まで、戦争が原因で亡くなった沖縄住民、沖縄戦で亡くなった県外出身者、米兵、台湾出身兵、韓国・朝鮮の強制連行者、合わせて24万人近い戦没者が刻名されています。世界中で、敵味方関係なく刻銘をしたのはここだけだそうです。

 この膨大な石碑群を見ると、“戦争の意味”とはいったい何だろう?と、しばし物思いに耽ってしまいます。今も地球上のどこかで必ず起こっている戦争。人間は過去から何も学べない愚かな生物なのか。あるいは、恒久的な平和と繁栄を実現できる知性を備えているのか。 黒い石碑に刻まれた人々は、今を生きる私たちにその答えを求めているようです。


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