抑留先から持ち帰った物


平成20年8月15日 写真・文 / HP管理者 木内正人

 第2次大戦後、旧ソビエト連邦に抑留されていた日本人は60万人とも言われています。極寒の異国の地で多くの日本兵が命を落とされました。そうした厳しい状況の中、私の父は幸い故国日本に戻れた一人でもあります。そんな帰還兵たちの所持品はあまり多くはありません。日記やメモ類は全てソビエト政府に没収され、生活に最低限必要なものだけが所持を許されたようです。
 しかし、父の持ち帰った数少ない所持品には、抑留当時の出来事や捕虜収容所での外国兵との交流などが垣間見れます。ここでは、ソビエト政府の没収を免れた父の所持品の一部をご紹介いたします。


陸軍のハンゴウ

 旧帝国陸軍のハンゴウです。父が戦中戦後にかけて使っていました。日本、満州、ロシア、ウクライナへと父と一緒に、はるか遠くまで旅したハンゴウです。フタの裏面の中央には小さな字で“昭十六”と書かれています。奇しくも昭和16年は太平洋戦争が始まり、日本人はさらに戦乱の時代へと流されて行きました。このハンゴウは、兵の生きる糧と、物資の乏しい戦後の食卓を支えてきた歴史の証人でもあります。
 ちなみに、息子である私は、中学校の林間学校でもこのハンゴウを父から借りて、キャンプでカレーライスを作って食べたりもしています。“お国の支給品”である頑丈なハンゴウは、しっかり親子2代に渡って役立たせて頂きました(笑)

 


通信紙

 なぜこれが没収されなかったのか不思議です。残っているのは“通信紙”と呼ばれる帳面の台紙の部分ですが、特に興味深い点は、その裏面にあります。『軍隊符号』と書かれた記号票は、当時、陸軍で使われていたものです。
 なお、この台紙は、旧ソ連での抑留中に、父がメモを取るときや絵を描くときなどに下敷き代わりに使っていたようで、そのまま日用品として日本に持って帰ってしまったようです。なんとも面白いエピソードです。

 


シガレットケース(捕虜収容所製

 

 父のイラスト『旧ソ連抑留画集』には、外国兵との交流のエピソードが幾度となく登場します。これは、そんな捕虜たちの交流エピソードを最も直接的に表している品かも知れません。
 父が、同じ収容所のドイツ人捕虜に絵をあげたお礼として、そのドイツ人捕虜から手製の“シガレットケース”を作ってもらった物だそうです。材料は廃材のアルミニウムですが、蝶番もしっかりと作られていて、60年以上経った今もフタがピタッと閉まります。工業国であるドイツ人の器用さがとても良くわかる逸品ですね♪

 捕虜収容所には、このように様々な特技を持った人々がいたようです。それは、すなわち、一般庶民が不幸な戦争に巻き込まれてしまったという悲しい事実でもあります。しかし何よりも心温まるのは、フタに彫られた絵です。そのドイツ人が、水にはねる魚という“日本的(?)”なモチーフを、わざわざ描いてくれているのにとても親しみと友情を感じます。このような優しさに満ち溢れた作品をみると、人間はなぜ戦争をするのだろう・・・と、実に感慨深くなってしまいます。


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