地元柏市の戦争遺跡を訪ねて・・・


平成19年11月1日 写真・文 / HP管理者 木内正人

 私の住む千葉県柏市は、多くの若者が集う東京のベッドタウン。街には様々なショップが建ち並び、緑豊かな公園には家族連れで賑わいます。しかし、そんな平和な風景の似合う柏市にも、先の戦争に関わる悲しい歴史がありました。
 第二次大戦末期、戦局は著しく悪化したことで、日本領空には堂々とアメリカ軍機が進入し、容赦ない攻撃が繰り返されるようになりました。そんな最中、本土防衛の期待を担って開発されていたのが、陸海軍共同開発による秘密兵器“秋水”(左図)でした。“秋水”とは、ドイツの戦闘機メッセーシュミットMe163Bを参考に、独自揮発したロケット・エンジンを搭載した局地戦闘機です。その“秋水”のためのテスト飛行やエンジンの燃焼実験が、かつて私の住む街で行われていたのです。
 この“秋水”は、離陸からたった3分で高度1万メートルまで上昇し、近海から高高度でやってくるで敵機を迎撃するのが目的でした。しかし、目的としては実に勇ましいものの、当時の実験に携わった方々の証言によると、燃料の持ち時間はわずか10分。燃料が切れたあとは、グライダーのように滑空して戻るというもので、当時の戦況からはまさに焼け石に水のようなものだったそうです。
 そんな悲惨な実験場だった場所は、私の家のすぐ近くです。かつて陸軍第29飛行戦隊(満州)にいた父と共に、今も地元に残る戦争遺跡を訪ねてみました。


 

 東武バスの『花野井木戸』で下車してほどなく歩くと、住宅街の中にいきなり異様な構造物が現れます。 これは“秋水”のロケット燃料の貯蔵庫@で、本来ならば地中に埋まっているものだそうです。“秋水”のロケット・エンジンは、甲液(過酸化水素と安定剤の混合溶液)、乙液(水化ヒドラジン等の混合溶液)を反応させて推力を得るものだったそうです。非常に危険な過酸化水素があることによって、陸軍は柏飛行場(現柏の葉公園一帯)から2km以上離れた丘陵地ここ花野井に地下貯蔵庫を作って保管しました。

 有機物が微量でも混ざると爆発するという危険な薬品を蓄えた貯蔵庫は、この地域にいくつも作られたそうです。左の写真は燃料貯蔵庫の出入り口と思われる部分。子供が遊ぶといけないので、コンクリートと鉄棒でフタをされていました。当時、軍によって危険極まりない実験に従事させられた者の労苦を偲び、父も思わず敬礼です。
 


 住宅街をさらに進むと、丘陵斜面にまた遺跡ABが現れます。周りは草で覆われ、茂みの中からコンクリートの壁が覗いていました。よく見ていないと見逃してしまいそうな場所です。これも燃料貯蔵庫ですが、頑丈そうな鉄の扉でしっかりフタをされています。貯蔵庫の上には住宅も建ち、暗い戦争の歴史は辺りの木々によって、やがて隠れて見えなくなってしまうかも知れません。
 


 住宅街脇の石段をを登り、左手に目をやると、またさらに異様な景色が広がっていました。この地面から斜めに突き出した大きなパイプ。実はこれ、ヒューム管と呼ばれる燃料の通気筒Cが突き出したものだそうです。莫大な国家予算を投じて作られた“秋水”は、実験に着手して1年足らずで5機が完成したとのこと。“秋水”に関する詳しいことは、10月28日に開催された歴史公演会で知ったのですが、この実験にはパイロットやエンジニアだけでなく、十代の少年たちが大勢加わった(というより強制された)ようです。「大人の喧嘩に子供が巻き込まれた・・・」。柏市の戦争遺跡は、そんな当時の人々の悲劇を今に伝える遺跡でもあります。



千葉県柏市花野井地区の戦争遺跡群

背景地図:Google Earthより


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